逢紀とするのは誤記?

前々から気になってたことをやっと調べてみる気になった。


後漢書』劉盆子伝に逢安という人物が登場する。注にいわく、

『東観記』に言う。「'逢'は'龐'と発音する。」

また集解にいわく、

劉攽は言う。「愚考するに'逢'の字は'夅'を含んで'龐'と発音する。この字は歴として'夅'を含んでいるのであって、'逢'の音を借りつつ'龐'と発音するのは間違ったことだ。」

また逸民伝に逢萌という人物が登場して、集解にいわく、

劉攽は言う。「愚考するに逢萌は北海国の出身なのだから'蓬'とするのが正しく、'逢'は間違っているのだ。」
王先謙は言う。「官本は劉攽の言葉を'蓬'としているが、'逄'と書かれるべきだ。」
恵棟は言う。「李利渉の『編古命氏』の言うには、北海の逢氏に名を糸、字を子繡という者がいて前漢の趙王の守り役になり、その孫の逢萌は王莽に仕えなかった、とのことである。恵棟が愚考するに、'逢'は'逄'と書くべきであり、そのことはすでに劉攽が明らかにしている。'逢'は符容の反切、'逄'は薄江の反切であり、(発音が違っている)。」

要するに、形のよく似ている'逄'(ハウ)と'逢'(ホウ)という二つの字があり、よく混同されているらしい。なにしろ、「混同するな」と言ってる劉攽や恵棟の言葉自体が誤植されてるくらいだから相当に紛らわしい。


康煕字典』を見てみた。

【逄】
薄江の反切。皮江の反切。'龐'と発音する。姓である。(略)『後漢書』劉玄伝に郡人逄安なる者あり。註釈。逄は'夅'を含む。

【逢】
符容の反切。'蓬'と発音する。(略)また姓でもある。斉に逢丑父なる者あり。(略)勘案するに'夅'を含むものは'龐'と発音し、'夆'を含むものは'縫'または'蓬'と発音する。『顔氏家訓』にいう。「'逄'と'逢'の違いを一緒くたにしてよいものだろうか!」

顔之推に叱られた><


そして『後漢書何進伝。

そこで、さらに手広く智謀の士を招き、龐紀・何顒・荀攸らがそろって腹心となった。

あれ…。


では『後漢紀』。

そこで、天下の奇才を招聘し、陳紀・荀攸・何顒らがそろって腹心となった。

陳紀は当時における名士中の名士なので、まずまっ先に招聘されてもそれは当然すぎるほど当然なんだけど、しかし『後漢書』陳紀伝によると「四公(太尉・司徒・司空・大将軍)の役所から招かれても決して応じなかった」とのことなので、『後漢紀』のほうが間違い。


では、何進伝に見える「龐紀」とは何者なのか?

後漢書袁紹伝注
『英雄記』に言う。「逢紀は字を元図という。はじめ袁紹董卓のもとを去ったとき、許攸と逢紀が同道して冀州に訪れた。逢紀は聰明で計略の持ち主であったので、(袁紹は)非常に信頼して可愛がっていた。'逢'は'龐'と発音する。」

おやおや、'龐'と発音するのは'逄'のほうであって、'逢'ではないはずだ。要するに、この箇所は'逄'とすべきところを間違えて'逢'と書いているのだ。この袁紹の幕僚の姓名は、正しくは「逄紀」なのである。してみれば、かの何進伝に見えていた「龐紀」というのは、この人と同一人物なのだろう。


けっきょく、わたしが今まで「逢紀」と呼んできた人物は、正しくは「逄紀」という姓名だったようだ。*1

逆に言うと分かりやすい

この人の姓名は、正しくは「逄紀」という。発音だけが伝わって「龐紀」と書かれることもある。ところが字形がよく似ているために「逢紀」と書かれることが多く、それは間違いである。

*1:ついでに言うと、北海国にルーツを持つ可能性が出てきた。そういえば袁兄弟が反目したとき、なぜか袁尚に親しんでいたはずの逄紀が袁譚のもとに留め置かれたのが、かねて不思議に思われていたけど、もしかすると青州の出身だったからということかもしれない。