光武帝紀25 「忠言の二士」

劉秀の奔放磊落なふるまいに宋弘、桓譚が苦言を呈します。桓譚はその後、劉秀にうとんじられて六安郡丞に左遷され、赴任への道中で失意の病死をとげました。せりふが長いぜ。


建武*1四年*2の春正月の甲申*3。天下に大赦令を下した。耿況*4と耿舒*5が軍都*6を攻略した。彭寵*7の城である。これにより改めて耿況を隃靡侯*8、耿舒を牟平侯*9に取りたてた。

祭遵*10・耿弇*11が張豊*12を攻撃すると、張豊の功曹*13が張豊を縛りあげて降服した。張豊はもともと方術*14の士を好んでおり、方士*15が「張豊は天子になるだろう」と言い、石ころを詰めた袋を張豊の肘に結わえ、「石の中から玉璽が出てきますぞ」と言った。張豊はそれを信じて反逆したのである。張豊の処刑のまぎわ、祭遵の掾*16がその石を砕いて(玉璽が混ざってないのを見せて)やった。張豊はため息を吐きながら言った。「死んだとて恨みなどないわ。」

劉秀*17が耿弇に命じて彭寵を防がせたとき、耿弇が上表して言うには、「大軍はまだ集結しておらず、臣*18が単独で進むことはできません。それに臣の家族はみな上谷*19におって、京師*20には骨肉の親戚がおりませんので、どうか洛陽*21に移住させてくださいませ。」劉秀は答えた。「将軍は身を投げだして国事に尽くし、功績はもっとも顕著である。なにを心配して召集を求めるのか?さあ計略をねって功業を立てるよう努力してくれ。」耿弇が召集を求めたと聞くと、耿況は末子の耿国*22を送って側近役に入朝させた。劉秀はこれを黄門侍郎*23とした。

かつて劉秀が司空*24宋弘*25に博識者の消息を訊ねたところ、宋弘が「才能学識は博聞、劉向*26・揚雄*27に追いつくほどです」と沛国*28の桓譚*29を推薦したので、召しだして議郎*30・兼給事中*31に任命した。

劉秀は桓譚に命じて鼓や琴をにぎやかに演奏させ、酒宴の肴とした。宋弘はそれを聞いて憤懣やるかたなく、桓譚が退出する時期をうかがい、朝服*32に身を正して役所の上座に腰かけ、(使者に)桓譚を呼びださせた。桓譚が来ても座席を与えず、かれを咎めて言った。「わたしがあなたを推薦したのは、道徳でもって国家を輔佐させたかったからだ。ところが実際には鄭声*33をたびたび献上するありさま。雅頌*34の道を乱すとは正道を踏みはずしておる。みずから改心できるだろう?さもなくば刑罰でもって正してやるまでだ。」桓譚が土下座して謝罪したので、長い時間がたってから、ようやく解放してやった。

のちに臣下たちが呼ばれて酒宴が催されたとき、劉秀は桓譚に鼓や琴を演奏させた。桓譚は宋弘を見やり、うろたえた。劉秀が怪訝に思って理由を訊ねると、宋弘が座席から滑りおりて冠を外し、謝罪した。「桓譚は、臣が推薦したものですが、忠義でもって主君をお導きすることができず、鄭声でもって朝廷をお喜ばせいたしました。臣は先日、そのことで呼びだして咎めましたので、(桓譚が演奏できなかったのは)臣の罪なのでございます。」劉秀は宋弘に陳謝するとともに、桓譚の衣服を(正装に)戻させ、以後は決して禁中での用務を言いつけることをしなかった。

そのころ天下は創建されたばかりで政治も確立しておらず、桓譚は遠ざけられたあとも時宜について上奏した。「国家の興亡は政治次第であり、損益は輔佐次第でございます。輔佐役が賢明であれば俊英が朝廷に満ち、政治は時務に合致いたします。補佐役が賢明でなければ、議論は時宜を逸失いたします。そして数多くの失政にいたるのです。国家を保つべき君主がともに教化善政を行おうとしても、政治が実態からひどく離れてしまうのは、賢者とされる者がそうでないからです。愚考いたしますと、善政というものは風俗を観察してから教化を施し、失敗を反省してから予防し、威厳と恩徳、文治と武断とが代わるがわる用いられるものです。それでこそ政治は時勢に適合し、騒がしき民衆どもを落ちつけられるのです。むかし董仲舒*35は、国家の統治を琴の弦を張るのにたとえ、ずれが小さければ調音するだけでよいが、ずれがあまりに大きければ弦を外して張りかえるべきだと論じました。しかし張りかえは難しい仕事でして、多人数を厄介払いしようとすれば身を滅ぼします。賈誼*36が才人でありながら追放され、晁錯*37が智者でありながら死んだのは、それが理由です。すぐれた才能を持っていても、議論もできず、過去の出来事に恐怖するのです。しかも禁令の制定では天下の悪事をなくすことも、くわえて人々の希望に寄りそうこともできません。国家政事にとって都合のよいものをゆるやかに採用するのがよろしかろうと存じます。」意見書は採用されなかった。

そのころ劉秀が占いに熱心で、桓譚はそれを正しくないといつも思っていた。また功績に対する賞与が少ないため、天下の安定が遅れていたので、かさねて上奏した。「臣はさきごろ献策いたしましたが、いまだにお返事がございません。憤懣やるかたなく、その過失を改めてご指摘いたします。天道や運命というものは聖人ですら論じがたきものであり、子貢*38らでさえ(孔子の口から)聞くことはできませんでした。ましてや後世の浅はかな儒者どもに理解できましょうや!古代の図書を収集して加筆誇張し、孔子が予言書を書いたと称する者さえありますが、君主をたぶらかすものであり、押しとどめて遠ざけずにいられましょうか!臣が聞いておりますのは、平和なときは道術の士をとうとび、有事のさいは甲冑の臣をとうとぶとのこと。いま聖朝*39におかれましては皇統を再興され、臣民の主君となられました。しかし四方にはいまだ帰服せぬ者どもが残されており、それは権謀がまだ足りていないということです。臣の桓譚が畏れおおくも陛下の人事任用を観察いたしますと、論客たちに酈生*40や隨何*41ほどの神算奇謀はなく、将帥たちに韓信*42呉起*43ほどの智勇用兵はございません。降服させるとき手厚い恩賞でもって誘ったこともなく、遅参するものに対しては財産を剥奪することさえございました。各人に疑惑を生じさせ、年月を重ねても解消できなかったのです。古人の言葉にこうあります。『みな奪うことを知って奪い、与えることを知って奪う者はいない。』陛下がもし爵位俸禄を軽んじて士大夫と分けあうことができますれば、物惜しみしてはなりませぬ。さすれば招致した相手が到来しないとか、説得した相手が納得しないとか、対向した相手が開城しないとか、征討した相手に勝利しないということがありましょうか!このようにすれば、狭きものを広く、遅きものを速くすることができ、失ったものを取りかえすことができるのです。」このことがあって、劉秀はますます不愉快に感じた。

桓譚は字*44を君山*45といい、俊才をそなえ、博識で知らぬものはなかった。(経典の)章句*46や訓詁*47にはこだわらず、本旨にはすべて精通した。たびたび劉歆*48や揚雄のもとで疑問点について相談したが、かれが理解したことについては、劉歆・揚雄でさえ付けいる隙がなかった。音楽と鼓や琴の演奏を好み、性格はさっぱりしていて作法にこだわらなかったため、そのことで名誉が大いに損なわれた。

世間ずれした儒者どもの時宜を弁えぬ「高尚な議論」をいつも憎んでおり、そのせいで除け者にされ、(前漢の)哀帝*49・平帝*50の時代、官位は郎*51にすぎなかった。それでも王侯貴族たちはみな彼との交わりを望んだ。王莽*52が政権を掌握して簒奪するまでのあいだ、天下の儒者どもは競って褒め称え、符命*53をこしらえて媚びへつらわぬものはなかった。桓譚だけは黙然として無言に徹したため、官職は楽大夫*54どまりであった。

*1:けんむ。劉秀(りゅうしゅう)の建てた年号。

*2:西暦28年。

*3:こうしん。きのえさる。

*4:こうきょう。

*5:こうじょ。耿況の子。

*6:ぐんと。県名。

*7:ほうちょう。群雄の一人。

*8:ゆびこう。隃靡を領地とする諸侯。

*9:ぼうへいこう。牟平を領地とする諸侯。

*10:さいじゅん。二十八将の一人。

*11:こうえん。同上。耿況の子。

*12:ちょうほう。群雄の一人。

*13:こうそう。官名。郡の人事官。

*14:ほうじゅつ。仙術。

*15:ほうし。方術の士。

*16:えん。属官。

*17:りゅうしゅう。光武帝(こうぶてい)。後漢創始者

*18:わたくし。臣下の一人称。

*19:じょうこく。郡名。

*20:みやこ。

*21:らくよう。県名。劉秀が都とした地。

*22:こうこく。

*23:こうもんじろう。官名。側近役。

*24:しくう。官名。財政担当の大大臣。

*25:そうこう。

*26:りゅうきょう。前漢の学者。

*27:ようゆう。同上。

*28:はいこく。国名。

*29:かんたん。

*30:ぎろう。官名。議員。

*31:きゅうじちゅう。官名。諸侯の接待役。

*32:ちょうふく。朝廷で着用する正装。

*33:ていせい。格式に外れた不正な音楽。

*34:がしょう。経典に記載された正統な音楽。

*35:とうちゅうじょ。前漢の学者。

*36:かぎ。前漢の文士。

*37:ちょうそ。前漢の政治家。

*38:しこう。孔子の弟子。

*39:せいちょう。劉秀を指す。

*40:れきせい。前漢の説客。酈食其(れきいき)のこと。

*41:ずいか。同上。

*42:かんしん。前漢の名将。

*43:ごき。戦国時代の名将。

*44:あざな。通称。実名を呼ばないのが礼儀とされた。

*45:くんざん。

*46:しょうく。文章の解釈。

*47:くんこ。文字の解釈。

*48:りゅうきん。前漢の学者。

*49:あいてい。劉欣(りゅうきん)のこと。

*50:へいてい。劉衎(りゅうかん)のこと。

*51:ろう。官僚見習い。

*52:おうもう。新王朝の皇帝。前漢を滅ぼした。

*53:ふめい。革命を知らせる予言書。

*54:がくたいふ。官名。音楽担当官。