南飛烏鵲楼

以前に言及した【南飛烏鵲楼】なんですが、わたしと共通する意見を開陳されているので、ちょっと抜きだしてみた。

【南飛烏鵲楼】『演義』の作者は羅貫中か?
地の文で関羽のことを「関公」あるいは「公」と呼ぶのは、
2箇所、すなわち「千里独行」と「麦城昇天(関羽の死)」の
部分に集中しており、他の語彙をも勘案すると、
この部分はあとから挿入された可能性があるということです。

【思いて学ばざれば】関羽の千里行
関羽が千里行の途中で遭遇する人物の多くが、関羽の死にからむエピソードを持っている。関平とか周倉とか普浄とか胡班とか。

ということは、この千里行自体が関羽の死の伏線になっているということだ。

これとこれが対応。わたしは先行する講談物語や民間演劇を参考にして著者自身が挿入したものと想像してたけど、そもそも文体からして違っていた(著者が関わっていない可能性がある)とは思いも寄らなかった。

【南飛烏鵲楼】李粛について
……なんとまあ、呂布と併称される武将なんですな。
他に「錦雲堂暗定連環計」雑劇などでも、呂布に協力して
董卓を討ち果たす武将として登場します。

『平話』では、その呂布の傍らに元祖・飛将の李広の後裔が
配されるという趣向になっているわけですね。

【思いて学ばざれば】李粛をナメんな!
三国志演義』ではザコ扱いの李粛くんですが、『演義』に先行する通俗小説『三国志平話』ではもっと風格ある武将として描かれてます。

しかも李広の末裔だというオリジナル設定付きです。たしか『演義』にはその設定が引き継がれてなかったはず。李広といえば弓の達人として知られてますが、弓矢を装備していることがわざわざ明記されていることからしても、李粛がそれなりの弓巧者であることを暗示しているようです。

これとこれが対応。ただし、たけさんが薛仁貴を意識していると指摘しているのは、ちょっと疑問。この箇所の描写では紅白の対比よりも金銀の対比のほうが強く押しだされている。主将が黄金、副将が白銀という描写は『演義』中でも多々見られ、それらがすべて薛仁貴を意識しているとはとても考えられない。

【南飛烏鵲楼】餘談「諱と字」
最初に言い出したのは誰だか知りませんが、
曹操孟徳」のように「諱」と「字」を列記することを
誤りだとする指摘をしばしば見かけます。

確かに「諱」と「字」は、列記しないのが原則ではありましょうが、
例外は探すと結構みつかります。

【むじん書院】思而不学#名字併称の実例
とりあえず気付いた分だけ。『華陽国志』では数え切れないほど多い。

漢書鮑宣伝
栗融客卿 禽慶子夏 蘇章遊卿 曹竟子期
後漢書孔融
脂習元升

……

これとこれが対応。


そのほか、

【南飛烏鵲楼】竹内康浩『「正史」はいかに書かれてきたか』
ここでは、明らかに「歪んでいない歴史意識」の存在が想定されています。
しかし、そんなことがあり得るのだろうか、というのが私の立場です。
すべての言葉は歪んでいる(=文化的・社会的制約を受けざるを得ない)。

必要なのは「どのように」歪んでいるかを、
言葉の使い手・受け手が検証し続けることなのでは。
さもないと、いとも簡単に「自分は正しい」という欺瞞に陥る危険がつきまといます。

この指摘にも深くうなづける。