平話は素樸さが魅力

【南飛烏鵲楼】走鳳雛龐掠四郡

おー、これはすごい。

『平話』と比べてみると、基本的に同じ筋でありながら、かなり洗練されている。なので、おそらく先に『平話』が成立して、そのあとそれが雑劇に取り入れられたと考えてよさそう。その逆はなくて。ただ、洗練されたのが仇になって、もともと『平話』にあったスピード感、サスペンスが目減りしてるのがもったいない。文化的に完成されてるのは雑劇のほうだけど、率直に面白いと感じるのは『平話』のほうだなぁ。

文化的に成熟しちゃうと元々のムリ設定にいろいろ後付けの理屈が与えられてしまって(オラのことかーっ!!)、結果、ストーリーの勢いが殺がれてしまう弊がある。張飛が龐統を斬るという筋は、『演義』にも取り入れられてるけど、これにしても『平話』と同様、実際に斬られるのは「犬ころ」なんだよね。この雑劇では汚吏が斬られることになっていて、筋も入れ子になって複雑になり、隙がなく、より完成されてるんだけど、どこか説明臭さがしてしまう。得意満面で布団をはがしたら犬ころだった!という張飛の驚き(=読者の驚き)が跡形もなく消えてしまってるのが残念。

【南飛烏鵲楼】簡雍と魯粛
現存する雑劇脚本のほとんどは、明の宮廷図書館に蔵されていたものを、趙琦美なる人が抄写したものです。

(同上)
三国雑劇の場合、「殿頭官」ではなく、実在の人物を代役にしていることがしばしばあります。そして、最も多いのが、簡雍を劉備の代役とするパターンです。

(同上)
曹操については代役を立てられません。つまり、曹操は決して皇帝扱いはされないんですね。

ほほう、メモメモ!