「騒ぎすぎ」問題

は、あまり一般化しすぎると却って害になるかもしれない。

【玄倉川の岸辺】「騒ぎすぎ」の害
ところが、マスコミやネットで見かける「騒ぎすぎ」論者の多くは騒ぎすぎという言葉を投げつけるだけで、何と比較してどう騒ぎ「すぎ」なのか説明しない。これでは「騒ぎすぎ」と言いたいだけじゃないのか、実は何も考えてないんじゃないか、と疑ってしまう。

論旨にはおおむね賛同できるんだけど、ただ、騒いでるかどうかだけが焦点化されてしまうと、この場合ちょっとまずいかも*1。騒ぐべきときに騒ぐ、騒ぐべきでないときに騒がないことは正常な反応であって、問題は騒ぐべきときに騒がない、騒ぐべきでないときに騒ぐことでしょう。正しく「騒ぎ」、正しく「騒がない」ことが必要。


「騒がない」には2種類ある。

たとえば海外旅行から帰ってきて成田で検査をうけ、人混みや電車を避けて帰宅し、1週間ていど外出をひかえて自宅で過ごす。この人は騒いでない。

あるいは海外旅行から帰ってきて成田で検査をうけ、駅のホームの人混みをかきわけながら満員電車に乗って帰宅し、翌朝には出社して職場の同僚に土産を渡してまわり、退社後は居酒屋で土産話に花をさかせる。この人も確かに騒いでない。

けど、後者はインフル対策の観点から見ると、まずい「騒がない」だ。


わたしも今回のインフル話題は騒ぎすぎだと思う。というか、騒ぎかたが間違ってると思う。

成田空港でアメリカ、カナダ、メキシコからの入国者を総員検査したとかいう報道があったと思うけど、これは間違った騒ぎかただと感じる。インフルの流入ルートはその3国だけじゃないだろう。3国以外は安全だと考えてるとしたらとんでもない大まぬけだ。徹底するならアジア、ヨーロッパなど、すべて地域からの入国者を検査すべきだった。それ以前の問題として、そもそもインフルは数日間の潜伏期間があり、潜伏中は検査しても感染を見つけることはむつかしい。たしかWHOが同様の指摘をしていたんじゃないかな。要するに、この成田での検査じたいがほとんど意味のない茶番劇だといえる。意味がないことをまるで意味があるように演出するのは「騒ぎすぎ」としか言いようがない。

しかし実のところ騒いでなんかないのだ。空港職員もこんな検疫の真似ごとは無意味だと承知のうえで、おそらく国内がパニックに陥ったり、入国者や職員が危害を加えられたりしないよう「平静」を演出するつもりでやっているだけなんでしょう。ちっとも本気なんかではないのだ。日常業務に毛の生えたていどの気持ちしか持ってない。しかし、これは間違った「騒がない」だ。

まじで本気の真剣にインフル対策を行うのであれば、入国者をそれぞれ個室に隔離して1週間ていど足止めしてから検疫するか、あるいは、それでは空港内で流行を起こすから心配だというならそのまま旅客機をUターンさせて元の国へ退去させればいい。もちろんそんなことは現実的に不可能なのだから、とどのつまり空港での水際チェックなど、土台やりようがなかったのだと言わなければならない。

てことは、これは間違った「騒ぎ」ということだ。


さきにも触れたようなアメリカ、カナダ、メキシコ3国からの流入さえチェックすれば安全だという根拠のない「騒がない」を徹底排斥し、すでに国内に持ちこまれているのだと想定したうえで対応を取るべきであって、それこそが正しい騒ぎかたではないかと思う。

日本人は、正しく騒ぐことがとてもヘタだ。

*1:かのエントリが個別の事例について「騒ぎすぎ」と言うなと主張しているのではなく、用語一般の問題として語っているのは承知しているので、別に非難するつもりだとかそういった類のことではないんだけど、ただ「騒ぎすぎって言うな」がほんとに一般化されて何でもかんでも適用されてしまうと困っちゃう場合もあるよということです。