最近読んだ本 その3
背もたれのない腰かけをオットマンっていうのは、オスマン帝国に由来してるのね。
オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」 (講談社現代新書)
- 作者: 鈴木董
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1992/04/16
- メディア: 新書
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やー、オスマン帝国かっこいいな。これは偏見かもしれないけど、どうしてもキリスト教徒っていうのはイスラム教徒に比べて偏狭で、異教徒や異端に対していかようにも残虐に振るまえてしまうという印象がある。この本を読んでもそのイメージは払拭できなかったし、むしろイスラム教徒の寛容さにより強く印象付けられてしまった。
内容はトルコ族がモンゴル高原からアナトリアに移り住むところから、スレイマン大帝の死後、帝国の衰退してゆく予兆まで、オスマン帝国の興亡史をざっと総攬する。とくに紙筆が割かれるのがメフメット2世によるコンスタンティノープルの攻落と、スレイマン大帝時代の最盛期。ここでいちいち総括することはできないので、帝国史を読むにあたって必要になる語句と、歴代君主について簡単におさらいしてみる。
- ガーズィー
- 聖戦士。ムスリムの武装集団を言うが、略奪までも正当化されていた。
- アクリタイ
- キリスト教徒の戦士。宗教が違うだけで、実態はガーズィーと変わらなかった。
- アナドル
- アナトリア地方。
- ルメリ
- バルカン半島。ローマ人の地の意。
- ビザンツ帝国
- ローマ人によるギリシア正教徒の帝国。オスマン帝国により滅亡。
- コンスタンティノープル
- ビザンツ帝国の首都。のちにオスマン帝国に占領され、イスタンブルと呼ばれる。
- イスタンブル
- オスマン帝国の首都。トプカプ宮殿などで知られる。
- イスラム法官
- カドゥまたはカーディー。知識人であり、初期帝国の官僚組織を担った。
- メドレセ
- イスラム法学を学ぶ学問所。大学に相当し、多数の高級官僚を輩出する。
- イェニチェリ
- スルタン直属の常備軍。初めは奴隷出身者からなったが、のちにはデウシルメが行われた。
- カリフ
- 宗教的権威者。アッバース朝からセリム1世に禅譲されたと言われるが、同時代史料には記載がない。
- スルタン
- 皇帝。権力者の意。アッバース朝のカリフからバヤズィット1世に初めて与えられたというが疑わしい。
- ワクフ
- ヴァクフ。一定財産の所有権を制限して、その収益を公共事業にあてる仕組み。メドレセ経営などに利用された。
- ミレット
- ギリシア正教徒、アルメニア協会派、ユダヤ教徒からなる宗教共同体。貢納の義務を負ったが自治的生活は許された。
- ジハード
- 戦争を平和に変えるために努力すること。その手段として武力を用いることをそう呼ぶには批判がある。
- ズィンミー
- 被保護民。啓典の民(ユダヤ、キリスト教徒)を保護する制度。のちに宗派にかかわらずズィンミーの対象は広がった。
- サファヴィー朝
- イラン地域の強国。シーア派を信仰したためオスマン帝国と敵対。
- マムルーク朝
- アラブ地域の強国。エジプト、シリアを支配、メッカ、メディナを庇護下に置く。
- ティマール制
- 知行制。旧支配者の慣習を考慮した検地を行っている。
- イスラムの長老
- イスラム法の解釈を行うムフティーの長。ムフティーは各地にいたが、イスタンブルにいる者が長老となった。
- デウシルメ
- 領内のキリスト教徒の少年から強制的にイェニチェリに組み込む制度。スルタンの小姓となり、大宰相になる者もあった。
- オスマン
- オスマン帝国の始祖。しかし実態はガーズィーを率いる小さな地方軍閥の長にすぎなかった。ビザンツの都市プルサを包囲中に死去。
- オルハン
- 第2代の君主。オスマンの子。アナトリア西北の地域に勢力を伸長し、バルカン侵入も試みてビザンツを脅かす。
- ムラト1世
- 在位1360-1389。オルハンの子。バルカンの一部を征服。チャンダルル・カラ・ハリルを大宰相に登用、イェニチェリの基礎を築く。
- バヤズィット1世
- 在位1389-1402。ムラトの子。異名「電光」。急速にバルカンに勢力伸長、ハンガリー主体の十字軍を撃破。アナトリアでティムール朝に敗れて捕虜となる。
- メフメット1世
- 在位1413-1421。バヤズィットの子。父の死後、分裂していた本国を再統一。しかしアナトリアはほとんど回復できなかった。
- ムラト2世
- 在位1421-1444、1445、1446-1451。メフメットの子。失地回復に努めたが、たびたび隠居を図り、地位を王子メフメットに譲る。
- メフメット2世
- 在位1444-1445、1445-1446、1453-1481。ムラトの子。アナトリアのカラマン国を撃破、1453年、ウルバンの巨砲を導入してコンスタンティノープルを陥落させる。トプカプ宮殿を建立。バルカン全土をほぼ征服。カラマン国、白羊朝を破りアナトリアに地歩を築き、黒海を支配下に収める。ルネサンスの巨匠ベッリーニを招聘して肖像画を残す。
- バヤズィット2世
- 在位1481-1512。メフメットの子。サファヴィー台頭により国情不安となり、息子セリムにより廃位を迫られる。
- セリム1世
- 在位1512-1520。異名「冷酷者」。父を廃位させて即位。国内のシーア派を虐殺。遠征してサファヴィーに痛撃を与える。アレッポ知事の内応をえてダマスクスに進攻、カイロを占領してマムルーク朝を滅ぼす。メッカとメディナの町の鍵が贈られ、聖都の守護者となる。
- スレイマン1世
- 在位1520-1566。セリムの子。ベオグラードを攻略、ロードス島を直轄領とした。イブラヒムを大宰相に抜擢し、エジプトの反乱を鎮圧。イブラヒムはエジプト法令集を編纂した。フランス国王フランソワ1世の要請以来、ハプスブルク家カール5世とたびたび衝突。ウィーンを包囲したが冬将軍のため撤退。サファヴィーを征討してイラクを支配。アルジェリアの海賊バルバロッサの帰順を受けて大提督に任じて以来、東西地中海の制海権を収める。イェメンを征服し、インド洋へのポルトガル進出を牽制する。治世後期は愛妾ヒュッレムらによって後継者争いが激化していた。