2010年07月04日のつぶやき

陳寿の『三国志』は、「蜀志」「魏志」「呉志」の成立過程がそれぞれ異なり、したがって編纂方針も違っているはずだ。だから、それらへの考慮を抜きにして、互いの体裁の違いを単純に比較することはできない。「魏志」がこうだから、「蜀志」もこうあるべきと主張することはできない。

posted at 23:30:07

おそらく陳寿の『益部耆旧伝』は、『華陽国志』と同様に編年体を基本とし、これに補う形で各人の列伝が附されていたのではないか。『蜀志』はそれをそのままか、もしくは編集を加えて再利用したものだと思う。ならば劉焉・劉璋伝のあとに劉備伝が続くのはさほど不思議なことではない。

posted at 23:11:20

益州では著名な学者たちが代々『巴蜀耆旧伝』を書き継いできていたが、陳寿はそれに加筆して『益部耆旧伝』を編纂した。その全容は伝わっていないが、同様に常璩が巴蜀の歴史を書き継いだ『華陽国志』はほぼ全文が残っていて、劉焉・劉璋伝のあとに劉備伝を配列している。

posted at 23:07:53

陳寿が筆を枉げたのではないかというからには、枉げる前の編纂姿勢がどのようなものであって、それに対してこの箇所がどう違っているのか、という順序で説明しないと、まるで持論に不都合なところだけを枉げられたと主張しているように残念ながら見えてしまう。

posted at 22:50:12

ひろおさんの所論は面白いけど、結論からいうとあまり賛同できない。http://www.3guozhi.com/c/zg.html

posted at 21:29:28

呂蒙は、現代的な価値観で見るとすっきりと分かりやすい人格者だよなぁ。でも当時の人にしてみればつかみどころのないキャラクターだと思われてた可能性がある。当時の思想における理想的な人物像など、想定される、どの典型例に当てはまらないので。

posted at 21:02:42

この3人はいずれも名士豪族層との確執や、それを避けようとしたエピソードが伝えられている。周泰が傷を見せたのもそれだし、蔣欽が徐盛の中傷を恨まなかったというのもそう、呂蒙が部曲の統合を望まなかったというのもそう。かれらを諸将の上に立てたかった、孫権の本意ではなかったかもしれないが。

posted at 20:58:05

周泰、蔣欽、呂蒙の共通点は、いずれも濡須督になっていること。さらに蔣欽、呂蒙はともに護軍になっている。孫権がこの2人の学問を褒めたというのはこの文脈から理解すべきで、つまり低い身分の出身だったのが、名士にならぶ学を身につけたので、名士の上に立つ役職を任せよう、ということ。

posted at 20:52:57

曹操の場合、ほかに任せられる人間がいなかったので、やむをえず于禁徐晃を将校クラスに引きあげた状況があるんだけど、孫権はむしろ政権を支える大豪族の台頭を抑えるため、積極的にノンキャリアを将校クラスに当てている。周泰、蔣欽、呂蒙らがその代表。

posted at 20:45:52

@ryuzens そういうことだと思います。魏延は義陽の出身者で、おそらく劉備が長阪の戦いで連れてきた荊州民というのが、こういう魏延のような小豪族の集まりで、魏延はこの自前の兵力を背景に政権内で発言力を獲得していたはずです。ヨーロッパで傭兵隊長が人数をウリにしたのと同じでしょう。

posted at 20:40:50

本社の叩き上げっていうと偉い感じがするけど、当時としてはかなり格下というか、もっというと下賤と目されていた。それが張遼龐悳みたいな外様の店長に指示を出してたら、そりゃあ反感も買うだろうってもの。

posted at 20:37:47

コンビニの経営にたとえていえば、楽進于禁は本社のアルバイトからの叩き上げがコンビニ直営店を任されたようなもので店舗は会社のもの、張遼らは酒店かなにかの自営業者からコンビニのフランチャイジーになって自分の店舗を改装したようなもので店舗は自分持ち。

posted at 20:34:01

光栄のゲームで無視されている要素なので、あまり関心を持たれてないようだけど、于禁が兵士出身であるのも大きな要因の一つ。楽進も同様。張遼張郃徐晃はそれぞれが一廉の部将として配下に私兵を持つが、楽進于禁曹操の兵を借りているだけ。

posted at 20:31:11

曹操は薛悌や趙儼などの文人を除けば、夏侯惇曹仁など、身内しか将校待遇を与えていない。だから南方戦線で曹仁が指揮を執れなくなり、子飼い部将の于禁を抜擢して七軍を統率する将校にしたのは、大事件なのだ。于禁龐悳に恥を掻かされたのも、軍中のプロパー軽視の風潮に依るものだろう。

posted at 20:27:15

張遼曹操時代、ずっと下士官クラスであり、独自に作戦を立てて実行したことはない。曹操の死後、曹丕の時代に入ってようやく将校クラスに昇ったが、とくに目立った功績もないまま死去してしまった。もう少し長生きしていれば張郃くらいにはなれたかもしれない。

posted at 20:23:18

そういう意味では、張遼だの、甘寧だの、趙雲だのといった猛将のことは、歴史的にほとんど語る価値がない。とりわけ、かれらの個別のエピソードなどは知るだけ無駄。

posted at 20:18:30

軍人には、大きく分けて将校、下士官、兵士と三階級の区別があるけど、三国志は為政者の記録なので、軍事的には必然的に将校までの視点しか導入されない。下士官の記述はごく限られたエピソードに限られ、兵士からの視点はおそらく皆無。

posted at 20:16:40

岡田克也さんではなく菅直人さんが新総理になったところが予想外れ。民主党が国民の期待を失うという点もちょっと外れぎみ。自民党躍進はどうも外れそうな感じ。http://d.hatena.ne.jp/mujin/20090827/p2

posted at 19:18:40

なんだかんだで参院選では民主党議席を減らしながらも勝っちゃうんだろうな。自民党みんなの党に得票を食われちゃって。んで今後、民主党自民党が部分的に共闘する場面も出てくるんじゃないか。去年のエントリ。http://d.hatena.ne.jp/mujin/20090827/p2

posted at 19:15:23

曹丕じしんは曹植とさほど険悪な仲ではなく、互いを思いやる書状のやりとりがある。曹植派として知られる楊脩にしても、曹丕曹植の共通の友人だった。のちに曹丕は楊脩をなつかしむ心境を述べている。

posted at 17:29:42

ただ、曹丕は帝位についてから警戒の必要性が薄れ、汝潁名士層との関係修復を行う。司馬懿陳羣の重用はここから始まっている。

posted at 17:28:01

漢魏交代が避けられない情勢が深まるなか、汝潁名士は、後継者争いから脱落した曹植に接近し、曹丕が王位、帝位につくと、その報復として汝潁系の名士が大量粛正される。それが文帝の酷薄なイメージとして伝えられている。…という図式を思っている。

posted at 17:25:10

荀紣の死は、思想上の対立に見せかけた、汝潁名士の利権問題という認識。建安以来、荀紣は汝潁名士を大量に呼び入れて政治権力の独占を図ったが、魏王国の創建により政治権力が二元化、荀紣の息のかかってない人材が大量抜擢された。それに危機感を覚えた荀紣と、曹操の間に利害対立が発生したのでは。

posted at 17:21:47

并州や河内は、汝潁との人的交流が盛んで、思想的にも経済的にも一致する部分が多かったのではないか。だから董卓時代は袁紹らの側にまわって董卓を殺し、曹操時代は荀紣的な立場から文帝曹丕と感情的対立が生じた、とか。

posted at 17:16:14

河内郡は司隷校尉部なんだけど并州との関わりが深く、人的交流も盛ん。張楊并州兵をつれて河内に駐屯してるし、そのまま河内太守になった。河内の王象は并州に売られた。楊俊が文帝の怒りを買ったとき、王象は同郡の司馬懿とともに助命嘆願している。司馬懿も汝潁名士との縁が深い人。

posted at 17:12:21

并州の部将といえばもう一人、雲中の張楊がいて、呂布都落ちして張楊を頼ったのはその縁だと分かるけど、呂布丁原を殺したあと、并州部将の一人としてどういう態度を取ったのがよく分からない。張楊はこの時代の最重要人物の一人なのに、あまり記録がないので軽視されすぎてる気の毒な人。

posted at 17:07:54

并州兵を統率していたのは丁原であったが、その部将であった呂布をそそのかして丁原を殺させたのが董卓呂布を買収して并州の兵権を与え、関中において、涼州クラスタ并州クラスタを統合した軍事政権を構築するため。

posted at 16:58:14

并州刺史の丁原は、汝潁名士の袁紹とともに何太后を脅迫したことがある。

posted at 16:54:57

并州名士に郭泰がおり、この郭泰を通じて并州名士は汝潁名士に近しいと認識されていた可能性がある。王允を最初に見出したのがこの郭泰である。

posted at 16:53:38

呂布董卓を殺したとき、関東駐屯軍のなかで「涼州人が皆殺しにされる」というデマが飛びかったことがあり、そこから当時、涼州クラスタ并州クラスタの水面下の確執があったことが分かる。董卓を殺した呂布王允并州の人。当人の認識はさておき、世間的にはそう見られていた事実が重要。

posted at 16:48:19

けっきょく、いかに問題を解決していくかなんてことにはさらさら興味ないんだろうね。そんなことよりも誰がバカで誰が利口かをささやきあうことの方がよほど重大な関心事だと。まあ、それがハポン族の民度だから仕方ないといえる。

posted at 16:39:58

論者の資質を問うたり、論者の内心を忖度することに何の意味があるんだろう。「あいつはバカ」「あいつはルサンチマン語り」が立証されたところで「で?」でしかない。現実に横たわる問題を解決しろよ。

posted at 16:37:47

わたしが左翼であるかどうかを決めるのはわたし自身ではなく、観測者の解釈によるものだと思ってるけど、一度も左翼っぽいこと言ってない相手が左翼に見えるってのは、いささか異様な感じがするね。わたしがisikeriasobiさんと対立してると思い込んでたりとかね。現実に帰れよ、とか思う。

posted at 16:30:20

右とか左とかには関係なく、そもそも問題の立て方が間違ってんだけど、3年経っても5年経っても成長が、議論の成熟が見られない。こんなのがこの社会の多数派の姿かと思うと暗澹たる心境になってくる。うそぴょーん。

posted at 16:27:52

左翼を好きでも嫌いでもどうでもいいけど、どうやって問題を解決していくかって視点がまるでなくて、結局「左翼は嫌いだ」しか結論できてないのが一つ。左翼を嫌うあまり、左翼に批判されてる側をむりやり擁護しようとして間違った主張をむちゃな正当化しようとしているのが一つ。

posted at 16:26:12

2ちゃんねるに「はてな村ウヨサヨヲチスレ」ってのがあって、さっき偶然に見かけてひさびさにながめてみたんだけど、相変わらずな印象だなあ。左翼が嫌いってのと、左翼の批判対象の方が正しいはずってのを一部の人がセット売りしてるから、話が一向にまとまらん。

posted at 16:24:05

55年体制は与党が官僚と一体化しすぎてるところがダメだったけど、ころころ政権が変わると相対的に官僚の力が強くなるだけなので、2〜3期ごとの政権交代で、なおかつ官僚をうまくコントロールするのはどちらかが争点になるといいな。別に官僚が悪いってわけじゃないけど、権力は腐敗しちゃうのよ。

posted at 14:11:08

二大政党時代が到来したら政策に大して変わりばえのしない保守政党同士の議席争いになるだろうなって言われてたけど、本当にそうだよなあ。

posted at 14:09:29

RT @gaitifujiyama: 私の家の周辺に張ってある自民党のポスターは相変わらず昨夏の衆院選のポスターのままのところが多い。末端の組織が動いていないんだろうなぁ。このままだと間違ってその人の名前を書かれちゃうぞw

posted at 13:55:05

RT @houbusi: そのギリシャは、この十年で法人税を下げ、消費税を上げこれから日本がやろうとしていることをして破綻。大企業は実は法人税ソニー12%、3大メガバンク0円など実態は、様々な優遇で額面通り払っていないことにも黙り。

posted at 13:37:34

RT オモニ(母) http://togetter.com/li/33293

posted at 12:47:33