2010年09月04日のつぶやき
@kokogiko よく分からんですけど小数の有効桁数ではないかなあ。切り捨てだと緯度方向が説明つかないので四捨五入してるとか、原点を左上に変換したタイミングでずれてるとか。
posted at 21:02:18
その差違を見落とすことによって共通点から見出される利益よりも大きな損失がある場合は、その指摘にも意味がある。しかし大抵の場合、言葉尻を上っ面に捉えただけである。逆説的に見えるが、言葉をぞんざいに扱っているのだと理解できる。
posted at 12:34:49
たとえば「欧米」と一括りにするな、といった言いようです。もちろん各国間には差違がある。けども同時に共通点もある。その共通点に着目して一括りに述べているところへ、差違もあると指摘することに意味があるのかどうか。
posted at 12:31:16
「○○と一言で片付ける人をボクは信用しない」という人をボクは信用しないです。言葉は生まれつき物事の細部を切り落とさざるをえない宿命的な性質を負っているものなので、それを否定したら言葉を使うことができなくなる。かれは言葉を尊重してないか、完全な言葉があると信じてるか、どちらかです。
posted at 12:25:20
おっしゃるとおりで、けっきょく買う側ではなく、売る側の都合で商品が作られている。それ自体は別に悪いこっちゃないけど、買い手はいつまで経っても幸福になれないですよね。RT @nai_mon 困ってる人を助けちゃうと今現在儲けてる人が困るから人間の為の商品が無いんじゃない?
posted at 12:10:34
困ってる人がいる→それを解決する商品を開発する→困ってる人が買う→困ってることが解決する→うれしい。これは人間中心的と言えるんじゃないかな。産業が人間に従属する。人間のために商品がある。
posted at 11:49:55
困ってないので欲望がない→欲望がないから商品が売れない→欲望を喚起しよう!ってのは産業中心の発想だよね。個々の人間にとっては何の解決にもなってない。
posted at 11:47:36
でも、ほんとうに欲望はないのだろうか。「困ったこと」は存在しないのだろうか。そうではないと思う。この社会ではみなが不平を言っている。そこに「困ったこと」が存在しているからだ。それを産業がうまく酌みとれていない。これまでの産業のあり方が偏りすぎていたので。
posted at 11:40:35
商品は欲望を充足する。欲望がなければ商品はその価値を発揮できない。だから商品を売りつけるためには、ありもしない欲望を喚起する必要がある。「欲しいものが欲しいわ」。そうして、虚業、バブルを招来する。
posted at 11:37:37
困ったことを解決しない商品は、ほんらい商品としての価値、存在意義はない。けど、いまの日本には「困ったこと」自体が存在しない。「困ったこと」が存在しないことで困っている。じゃあ、「困ったこと」が存在しないことで困っていることを商売にすればいいじゃないか、という発想も出てくる。
posted at 11:34:54
同じような商品で10のブランドがあったら、全部なくなったら困るけど、そのうち1つくらいブランドがなくなっても消費者は困らない。逆に言うと、そのブランドが存在するかどうかが消費者の幸福を左右しているわけではない。そのていどの商品力しかない。どこの市場でも。
posted at 11:33:23
もうかることが分かってても、それに納得しない商売人ってのは、その商品が購入者をかならずしも幸福にしないことに勘づいているからだろう。みんな自分には甘くて、自分の商品がそうであっても仕方ない仕方ないと言いながら売るんだけどさ。他人の商品には遠慮なく言える。
posted at 11:29:51
1つの製品について、供給側の視点に立って見るか、需要側の視点に立って見るか。どちらの側に立つかによって同じものに対しても評価が変わってくる。当たり前に。
posted at 11:16:14
ただその一方で、ノーブレスオブリージュというわけではないけど、商売をやる身としては、こういう商売には手を染めたくないな、という感覚もある。ほとんどの商売人はそういう感覚をどこかしら持っている。
posted at 11:11:09
しょせんビジネスは多かれ少なかれバカをだまして売りつけるという側面がある。そもそも日本には需要がないんだから、欲しくない人にむりやり押しつけないと、経済が成りたたない。
posted at 11:09:40
人格を産業に最適化するとモテるよ!
posted at 11:03:27
みずからの心身を産業に最適化した人間だけが、この社会では尊重され優遇されるので、みなみな産業化した学歴でその証を立てようとする。教育研究機関が産業に隷従しているからこそその機関にしたがうことが産業への服従の証明になる。
posted at 11:02:34
産業を存在目的とした社会なので、とうぜん教育研究機関も産業に従事するために設計されている。学徒を戦争に動員した戦前と変わりがない。
posted at 10:58:30
産業を目的にした社会って……。浅薄きわまりなくてすさまじい。すべての人間の生きざま、死にざまがこの目的のために投入される。だれも異を唱えない。
posted at 10:38:46
なにかを設計するにあたっては、その設計は何のためにするのかという目的が立てられるわけなんだけど、外国は知らんけど、日本の場合は、その社会設計が「産業」を目的にしてるんだよね。学問も産業に従属し、法も産業に従属し、個人も産業に従属し、もしかしたら宗教も。
posted at 10:36:44
ていうか、個人的な栄達のための踏み台に利用されてるとしたら、「カネ返せ」ってなると思うんだけど納税者の立場として。
posted at 10:23:13
最高学府は「研究をするところ」であって、就職や出世に有利な経歴を得るところじゃないよ。
posted at 10:21:15
それを「不正」だと糾弾する人は、入学の事実や学位によって将来的に有利な待遇を得られるべきという社会設計を持っているのだろう。わたしにはこうした差別待遇があることのほうがよほど「不正」に感じられるけどな。
posted at 10:18:24
裏金入学やカンニングを「不正」と思う人は、入学や学位取得を「報酬」だと考えているはず。単に最高学府で学ぶ権利が与えられるというだけでは非難するほどの見返りにはなっていない。
posted at 10:16:12
上岡龍太郎も同様の指摘をしていたが、裏金を使って学びたいというのは向学心があって「いいこと」じゃないか。現実的には経済格差があるので無邪気に支持できるものではないが、それは別の問題系。
posted at 10:10:46
どちらかというと、自分にはこちらの方が興味ぶかいな。
posted at 10:10:17
そもそもそれは不正なのか、という疑問がある。それによって行為者が利益を得るかどうかを問題にしていたらキリがないので、それ以外のものが不利益を被るかどうかでしか計測のしようがないと思うんだけど、その行為がもたらす不利益とはなんだろうか。
posted at 10:06:27
不正行為なんかはすでにそれを規制する仕組みがあるんだから淡々と事務手続きで済ませりゃいい話であって、それ以外の反応をすればその手続き「以外」の部分が注視されるのは理の当然だよな。その部分がなにものなのかは知らんけど。
posted at 10:04:34
おきちゅうきね。
posted at 09:06:03
寝るがかよ。
posted at 02:48:35
きたくすつ。
posted at 01:12:59