2010年09月05日のつぶやき

わたしの記憶力はわりといい加減。

posted at 16:14:19

とくにシリーズ最終回では、なんの苦悩もない優等生と目されていた少年が「自分は何のために生きているか分からない」といった趣旨のことを告白する。そこへ劣等感を感じていた子たちが修羅のごとく一斉に「お説教」を始めるという衝撃的結末。最高に後味悪い。

posted at 16:07:26

真剣10代しゃべり場はえらく好評だったのが仇になりシリーズ化されて陳腐化したが、第一シリーズは映像史に残る傑作だったとして過言ではない。かもしれない。

posted at 16:03:27

そのころのNHKがとりわけえらかったのは、「夢をかなえるから尊い」「未来があるから尊い」「可能性があるから尊い」ではなく、夢を持つことができず、未来を思い描けず、可能性を信じられず、抑圧され、苦悩する少年をそのまま全肯定したこと。これが民放にはできなかった。

posted at 15:32:23

90年代のNHKはがんばっていた。マキノノゾミの『疾風のように』もそうだし、みんなのうたで『WAになっておどろう』を重点的に流していた。『真剣10代しゃべり場』もそのころ始まった。とにかく「少年を応援しよう!」という意識が明確に打ち出されていた。

posted at 15:26:18

@ma_angie おっしゃるとおりで。そのくせ「お上」が信用するに足るという根拠なんか持ってない。それどころか「あいつらバカや」と影で笑ってたりもする。そこまで分かってるのに、自分が立とうとしないのは、要するに自分が責任をかぶりたくないだけなんですよね。

posted at 15:23:43

NHK『疾風のように』のラスト近くで、主演の森田剛は「WAになっておどろう」を歌う。当時は神戸の連続児童殺傷事件があったばかりで、「少年の心の闇」が盛んに取り沙汰されていた。マキノは明らかにそうした空気へのカウンターとして脚本を書いている。

posted at 15:15:12

マキノノゾミの『疾風のように』でも、「どんな人間でもどこかしらいいところがある」思想をもつ教師が登場するが、案の定、自分に取り柄がないと思っている生徒を追い詰めて事件を引き起こしてしまう。http://talent-schedule.jp/Drama_33732

posted at 15:10:41

@ProdigalSon_JP 「自分はどーせバカだし」が政治的責任の放棄の口実になってるんですね。ぶっちゃけ政治の主体になるってめんどくさいし、コストもリスクもでかい。民主革命の歴史を持たないので、民主主義に根底部分で共感してないんですよ。

posted at 15:04:56

TVドラマ『みにくいアヒルの子』はとても面白いドラマだったが、主人公が「だれでも一番星になれる」という思想を持っていた。なかには「応援団長」なんてくだらない一番星の子もいたし、最終回では自分の一番星を見つけられず、いじめの被害に遭って抵抗できない子も出てしまった。

posted at 15:01:52

80〜90年代の「同情」バッシングの折には、「どんな人間でもどこかしらいいところがある」なんて浅薄な教育観も擡頭していた。これは「取り柄のない人間は価値のない人間である」という思想の裏返し。自分には取り柄がないと思ってる生徒たちは、その言葉を聞いて絶望していた。

posted at 14:59:55

民主主義はバカに権力を委ねるということ。ちょーヤバい。そのヤバさを承知で、あえてバカに権力を与えるってのが民主主義の真髄なんだけどね。ただ、日本に棲息するバカは自分がバカだという自覚がないので、バカに権力を委ねるなと言っている。底抜けのバカだな。

posted at 14:56:56

中曽根さんが市民志向は傲慢さが鼻につく、庶民目線が大事と言ってたけど、まさにその問題。為政者が国民を愚民扱いして可しとしている。いや実際、愚民なんだろうけどさ。しかし盲従する理由はないので、自分の利益を主張すればいい。それが自信ということです。

posted at 14:54:22

@ProdigalSon_JP プライドは強さへの志向だけど、自信は弱さの肯定なので、うっかりすると権力への盲従、不正への盲従になりかねなくて、その指摘は核心に迫ってると思います。

posted at 14:51:02

いま日本に必要なのはプライドじゃなくて、「自信」だ。

posted at 14:47:38

以前 tweet したけど80〜90年代に「同情」バッシングがあって、朝日新聞などが論陣を張っていたのだが、同情を必要とする人が同情を拒絶して痛ましい結末に陥ったことが多々あった。生活保護を受ける権利があるのに拒否するのも同じこと。プライドは持つもんじゃない。廃止したほうがいい。

posted at 14:47:17

日本のニセ右翼の人たちは、なんというか、プライドプライドっつって権力に盲従するようなことばっか言ってんだもん。お話になんない。どこにプライドがあんだよw

posted at 12:56:39

なので民主革命が起きて教会の権威は否定され、ニーチェが「神は死んだ」と宣言したころから、プライドを首肯する気風が始まり、プライドの抑圧は教会など旧勢力への服従を意味し、プライドの尊重は民族自決を裏付けるものとされた、…はず。

posted at 12:49:59

キリスト教にとってプライドは神への挑戦を意味するらしく、ルシフェル自身にそういった伝説がある。つまり神の権威に楯突くな、ということ。これを方便として教会は世俗の権力を掌握した。

posted at 12:47:48

中華文化圏でも、プライドを罪とまではしないまでも、身を滅ぼす人格的な欠陥として扱われている。関羽がその代表格だし、日本では「おごれるもの久しからず」の平清盛の扱いがそう。よくニセ右翼っぽい人が「日本の誇り」なんて言ってるけど、あれは日本固有の伝統文化の否定だね。

posted at 12:45:05

キリスト教ではプライドを罪悪とし、映画『セブン』でも取り上げられた七つの大罪の筆頭格とされている。大罪にはそれぞれを象徴する魔物が設定されていて、プライドに当たるのはルシフェルキリスト教を知らない人でも名前だけは聞いたことがあるだろう。そのくらいプライドの罪は重いとされている。

posted at 12:39:16

関羽のプライドの高さを、原典では「護前」と書いてて、朱桓伝だったか他にも用例のある言葉なんだけど、この「前」ってのはたぶんカオのことなんだな。メンツを護ろうとするから「護前」なんだ、ということだと思う。

posted at 12:33:31

いやー、民族主義じたいは舶来物だったとしても、異邦人を嫌悪する心情は民族主義の萌芽以前のものだな。きっと。だからこそ古今東西に通底するんだ。

posted at 12:28:58

民族は同じでも、他人が引いた国境線で分断されたことで心情的にも分断され、そこへ舶来物の民族主義が持ちこまれて対立を激化させてしまう。ルワンダの虐殺事件のときも同様の指摘はあったけど、古今東西、変わらないんだろうなあ。他人事じゃない。

posted at 12:27:14

RT @AcefaceDX: 実際モンゴル人は内外でかなり感情的対立がある。カミさんは外の方だが、内のことを「あの人たちは中国人」といってはばからない。かといって今の外モンゴルナショナリストは徒党を組んで中国人を襲撃したりするネオナチみたいなのだしな。

posted at 12:24:54

まあ自分も、神戸の連続児童殺傷事件について、メディアの糾弾的な論調に載せられただけで事件の真相を知らされてないとは言ってるけどさ。

posted at 12:23:33

茂木健一郎さんが田中角栄さんについて述べてて、メディアの論調に懐疑するのはいいけど、あげく田中角栄さんは犯罪者なのかとも言ってて微妙…。http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2010/09/post-5b07.html

posted at 12:19:52

ただ、この人はプレッシャーにやたら弱くて、重要な局面になるとすぐ病気になって入院しちゃうんだよ。こないだの衆院選で圧勝したときもそうだし、その前も同じようなことがあった。あれ仮病じゃなくて、十中八九ほんとうにストレス性のものだと思うよ。

posted at 12:08:08

池田信夫さんの小沢一郎さんに対する評価は、わたしとほぼ同じだなあ。大して能力があるとも思えないけど、妙に依怙地なところがあって、そこへ逆に期待というところかな。http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51476033.html

posted at 12:05:44

今尾喜多。

posted at 11:38:42