的顱といふ馬

【隆慶一郎わーるど】嬉遊笑覧巻之四(一部修正)
(原文)的顱といふ馬は、額に白点あるをいふと心得て(『通俗三国志』によりて也)、絵などにかけり。『蜀書先主伝』、松之『世語』を引て、―劉備的盧に騎て檀渓を渡る事を云て、「孫盛曰、此不然之言、備時覇(羈)旅客主勢殊、若有此変、豈敢晏然終表之世、而無釁故乎。此皆世俗妄説非事也」といへり。又、的顱は『晋書』庾亮伝に、「初亮所乗馬有的顱、殷浩以為不利於主、勧亮売之、亮曰、曷有己之不安、而移之於人、浩慙而退」。さて『字彙』に、「的顱馬首飾、又呼的顱紅点也、又黒也」などあり。盧は黒きをいへば、黒点といへる、然るべきか。いづれにも白点にはあらず。
(訳文)的顱という馬には額に白い星があるものだと思って絵に描かれる。『蜀書』先主伝に裴松之が『世語』を引用するには、劉備が的盧にまたがって檀溪を渡ったことについて、「孫盛の言うには、これはありのままの事実ではない。劉備はこのとき旅人の身、主客の勢力ははっきり違っていた。もしこのような変事があったならば、どうして安閑として劉表の時代を過ごして仲違いせずにいられる理由があろうか。これらはみな俗人の妄説であって事実ではないのだ」、とある。また的顱については、『晋書』庾亮伝に「もともと庾亮の乗馬に的顱というのがあったが、殷浩は主人に害をなすから売ってしまえと庾亮に勧めた。庾亮は、自分が不安を覚えたからといって他人に転嫁することができようか、と言った。殷浩は恥ずかしく思って後ずさりした」、ともある。一方、『字彙』には「的顱とは馬の首飾りである。また的顱と呼ぶ場合には赤い星、または黒いものを指す」などとある。「盧」は黒いことなので黒い星ということになる。本当だろうか。どちらにしても白い星ではない。

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