千人斬り

千という数字にはあまり意味がなくて、とりあえず無差別大量殺人をそう呼んでるらしい。

『嬉遊笑覧』
因にいふ、千人ぎりといふ事、何によりていひ出たるかと問へるものに、答云、これもそのかみ、専らいひしことゝ見えて、『謡曲外百番』に、『千人ぎり』といふあり。其詞に、「あぶくま川の源左衛門殿と申人、行衛もしらぬ人に父をうたせ、其無念さに千人ぎりをさせられ候云々。扨そのうたれたる処は、いづくの程にて候ぞ。(狂言)此さきに石橋の候。其所にて候」と有。又『秋夜長物語』山門三井寺合戦の処、「千人ぎりのあらさぬき・かなまたの悪大夫・八方やぶりのむさし坊」などいへり。『続五元集』、「心をつむとて消し提灯、出あへと千人ぎりを呼ふらん 晋子」。其角が此句は、おもふに承応三年甲午四月の事とか。山中半左衛門といふ浪人、乱気して丸屋町の辺より刀を抜、往来の者を行合次第に切倒し、日本橋のかたへ通りしに、其間倒れたるもの八人、薄手にて逃れたる者廿五、六人有し。夜の五時ころの事也。其頃、此を通り町の千人ぎりといひけるよし、『洞房語園』にみゆ。是を思へるなるべし。『塩尻』云、「鵜丸の太刀は、濃州久々利の人、土岐悪五郎が太刀也。悪五郎は天文頃の人なり。土俗云、悪五郎、京五条橋にて千人切したりし時、此太刀、川へ落しけるを、鵜二羽くはへて上りし嘴の跡残りし故、鵜丸と名くと云り。野話、此類多し云々」有。辻ぎりと云ことを、かく云しなるべし。

見ず知らずの人間に父親を殺されたから、腹いせに千人斬りしましたって、そりゃ無茶苦茶だわ。「八つ当たりされた方の無念はいかばかりか」に禿同。そういや津山三十三人斬りなんてのもあったね。

久々利の悪五郎って別の本で聞いたことあるよ。まさかこんなところで再び出くわすとは。てか、そんなことやってたのか、悪五郎。