貴君の姿形は人並みでない

李通は光武帝とともに反乱を計画し、弟の李季を使者として都の父李守にそれを伝えようとした。

後漢書』李通伝
(原文)季於道病死,守密知之,欲亡歸.素與邑人黃顯相善,時顯為中郎將,聞之,謂守曰:「今關門禁嚴,君狀貌非凡,將以此安之?不如詣闕自歸.事既未然,脫可免禍.」守從其計,
(訳文)李季は道中で病没したが、李守は密かにそれを知り、故郷へ逃亡しようと企てた。もともと同郷の黄顕と親しくしており、このとき黄顕は中郎将であったので、かれに訊ねると、(黄顕は)李守に告げた。「いま関所の監視は厳しいのに、貴君の姿形は人並みでない。それで安全でいられるかい?宮殿に参詣して自分から帰郷(を申請)するに越したことはない。計画はまだ起こされていないのだから、脱出して災禍を免れることもできよう。」李守はその計略を採用した。

蔡邕は董卓に信愛されたが、進言が採用されることは少なかった。

後漢書』蔡邕伝
(原文)邕恨其言少從,謂從弟谷曰:「董公性剛而遂非,終難濟也.吾欲東奔兗州,若道遠難達,且遯逃山東以待之,何如?」谷曰:「君狀異恆人,每行觀者盈集.以此自匿,不亦難乎?」邕乃止.
(訳文)蔡邕は自分の言葉がほとんど聞き入れられないことを残念がり、従弟の蔡谷に「董公は剛直な人柄であるうえ間違ったことをなさるゆえ、最終的に解決することは難しかろう。わしは東行して兗州に逃れようと思う。もし道が遠くて到達が困難であれば、ひとまず山東に逃避して待機する。どうだろう?」と告げたところ、蔡谷が「貴君の姿形は人並み外れていて、出かけるたびに見物人が密集します。それでも身を隠すというのも難しいことではありませんか?」と言うので、蔡邕は取りやめた。

似ている。