光武帝紀17 「即位」

長安更始帝政権が崩壊、かわって劉秀がついに帝位に登ります。劉秀の天下取りはいよいよ本格的にスタート。


更始帝*1の諸将は赤眉*2の来襲を恐れ、申屠建*3らと御史大夫*4隗囂*5は、ともに帝位を(赤眉に)譲るよう勧めた。更始帝は聞きいれなかった。申屠建らは更始帝を拘束せんと計画したが、まだ実行に移さぬうちに、侍中*6劉能卿*7がそれを察知して報告した。更始帝は申屠建を召しよせて斬首した。張邛*8・廖湛*9・胡殷*10はそれぞれ王と自称し、軍隊を率いて宮殿の門を焼きはらい、隗囂は賓客たちをつれて天水*11に逃れた。

更始帝は宮殿内で三人の王*12と戦ったが勝つことができず、妻子や百人あまりの車騎*13をつれて東の新豊*14に行き、大司馬*15趙萌*16に身を寄せた。趙萌は王匡*17・陳収*18・成丹*19らはみな三人と結託しているので、逮捕して斬首すべきだと主張した。そこで更始帝は陳収・成丹を召しよせて斬首した。王匡はお召しに応じず、陳収・成丹の部隊をつれて長安へ戻り、太子宮*20にいる三人に身を寄せた。趙萌・李松*21のほうでも配下の軍勢をつれて太倉*22更始帝に従った。

五月、劉秀*23は漁陽*24をたって范陽*25に着き、死んだ兵士たちを埋葬せよと命じた。中山*26まで来たところで、臣下たちが帝位に登られますようと進言した。「大王が昆陽*27を征討なさると王莽*28は滅亡し、邯鄲*29を征服なさると北方は平定されました。これは人間業でありましょうか!天下の三分の二を所有して武装兵は百万人、武功を論ずれば匹敵する者はなく、文徳を論ずれば比肩する者はございません。帝位を正して社稷の計をなすべきです。」劉秀は聞きいれなかった。

諸将が断固として要請すると、劉秀は「賊徒どもはまだ平定されておらず、四方を敵軍に囲まれておるのだ。帝位を正せとは慌ただしい話だ。諸将は出てゆきなさい」と答えた。耿純*30が進みでて言った。「天下の志士たちが親戚も故郷も捨てて、戦場まで大王に付きしたがっているのは、龍のうろこ、鳳凰のつばさをつかんで、宿願を果たそうと考えているからです。いま事業はすでに成功しておりますから、天の時と人の和を理解できましょう。大王が時機を逃して人々に逆らい、帝位を正さないとなると、志士たちが失望して望郷の念を起こし、大王に従う者がいなくなることが心配です。」

劉秀はその言葉に感心し、臣下たちの意見を馮異*31に確認させた。馮異は帰ってくると、「三人の王が寝返って更始帝は敗北いたし、天下は君主を失いました。宗廟の安否は大王にかかっておるのです。みなの意見に従って、社稷を安定させるとともに百姓たちを慰撫してくださいますよう」と述べた。劉秀が「わたしは昨晩、赤い龍にまたがって天に昇る夢をみた。目が覚めても心臓が高鳴った。これはどういう兆しだろうか?」と言うと、馮異は二度拝礼して祝賀を述べ、「それこそ天帝のご命令が精神に現れたもの。心臓の高鳴りは大王の慎重さの証です」と言った。そのとき学生の彊華*32という者が長安*33から到来し、赤伏符*34を鄗*35にて献上した。臣下たちは改めて「いま一万里四方の辻褄が合っており、周*36の白魚*37でさえ、これと比べられましょうか?瑞祥は明らかです。天帝にお答えください」と要請した。

六月乙未、劉秀は、鄗にあって皇帝の位についた。年号を建武元年と改め、天下に大赦令をくだし、鄗を改称して高邑*38とした。

さて、赤眉軍は二手に分かれて関所に侵入し、弘農*39でふたたび合流したが、そのうち一万人が分かれて一つの陣営をなしていた。その陣中に斉*40出身の巫術師がおり、城陽*41の景王*42を祭ったときに言った。「景王は大いにお怒りじゃ!県官になるのは結構だが、なぜ盗賊などになったのか?」ある人が巫術師の言葉を笑うと、その場で病気になった。

方望*43の弟である方陽*44は、兄が更始帝に殺されたことを恨んでいたので、樊崇*45らを説得した。「更始帝はでたらめをやって政令は施行されておりませぬ。将軍は百万人の軍隊を抱えて、西方の帝都へ向かっておられます。しかし名分もなく、盗賊まがいのことをなさっていては、長続きいたしますまい。皇族を擁して追討を代行なさるに越したことはございませぬ!」樊崇らはもっともだと思い、巫術師の言葉を利用して景王の子孫を探しだすと、七十人あまりが見つかり、なかでも劉盆子*46がいちばん嫡流に近かった。

同月、赤眉軍は劉盆子を天子に擁立した。劉盆子は十五歳、ざんばら髪に裸足のまま、人々に拝礼されて、恐怖のあまり泣きだしそうになった。樊崇らはそれぞれを推挙しあって官職についた。最初に挙兵したとき、樊崇が武勇計略を兼ねそなえているということで、徐宣*47らはみな彼を頭目に仰いでいたが、(樊崇は)字を書くことさえできなかった。徐宣はもともと牢役人であり、『易経*48に詳しかったので、みなで徐宣を推挙して丞相*49とした。樊崇は御史大夫*50になった。

劉盆子はもとの式侯*51の劉萌*52の子である。王莽*53の時代、改易されて庶民となり、赤眉軍が式を通過したとき、劉盆子と兄の劉恭*54・劉茂*55はさらわれて兵隊に組みこまれた。樊崇らが洛陽*56に出頭したとき、劉恭も一緒に参内することになり、進みでて平伏した。「もとの式侯の世継ぎでございます。大いなる漢朝が復興されて聖帝がいらっしゃる。うれしくてたまりません。どうかお祝いさせてください。」昇殿を許されて祝いの言葉を述べると、更始帝は満足し、すぐさま式侯に取りたてた。劉恭は『尚書*57に詳しく、経典に明るいということで侍中に抜擢され、更始帝の関中*58入りに随行した。劉盆子と劉茂は赤眉軍の陣中に残り、いつも劉侠卿*59の牛を育てていた。劉盆子は即位したあとも、朝晩、劉侠卿に挨拶し、彼にひざまづいた。

後日、郭北*60において景王を祭ることになり、劉盆子を馬車に乗せた。草場の牧童たちは馬車のあとを付いてゆき、「劉盆子はこの中にいるよ」と言った。ほこらに到着すると、劉盆子が拝礼し、樊崇らもみな拝礼した。祭りが終わると、(劉盆子は)劉侠卿のところへ帰り、ときどき出かけて牧童の遊びをさせてほしいと願いでた。劉侠卿は怒ってやめさせ、樊崇らも監視しようとはしなくなった。

秋七月辛未、前将軍*61鄧禹*62を大司徒*63・酇侯*64とし、野王*65*66王梁*67を大司空*68・武彊侯*69とした。もともと赤伏符には「王良*70の主衛*71が玄武*72になる」と記されており、劉秀は、野王が衛の地であり、玄武は水の神であり、大司空が土木水利の官職であることから、王梁を大司空に任じたのである。また、予言に従って、平狄将軍*73孫臧*74に大司馬*75の職務を行わせたところ、人々は大いに不満をいだき、「呉漢*76どのか景丹*77どのを大司馬にすべきです」と言った。劉秀は「景将軍は宿将であるし、ふさわしい人物だ。しかし呉将軍は策略を立てる功績があり、苗曾*78を誅殺して謝躬*79を捕縛した。その功績は大きい」と言い、呉漢を大司馬・武陽侯*80とし、景丹は驃騎大将軍*81とした。

八月壬子、懐*82にて社稷の祭りをした。

このとき劉秀は帝位についたばかりで、兵糧に事欠いていた。寇恂*83が絶え間なく輸送してくれるので、百官は頼もしく思い、そのことを報告した。劉秀はたびたび詔書を送って寇恂をねぎらった。茂陵*84の董崇*85が寇恂を説得した。「陛下は即位されたばかりで四方はまだ平定されておりませぬ。そんな時代に大国を抱え、人民を手にして蘇茂*86を破ったのです。これは讒言者が災いをもたらす時期ですぞ。むかし蕭何*87が関中を守っていたおり、鮑生*88の言葉を悟って高祖*89を喜ばせました。あなたの配下は一族兄弟ばかりですから、先人を見習おうではありませんか?」寇恂はその通りだと思い、病気を口実に職務にあたらず、「陛下の征討戦に従軍したい」と願いでた。劉秀は「河内*90を手放すわけにはいかぬ」と言い、寇恂が固く申しいれても許可しなかった。そこで寇恂は甥の寇張*91・谷崇*92を遣して先鋒にしてもらいたいと願いでた。劉秀は喜び、彼らを偏将軍*93に任命した。

*1:こうしてい。劉玄(りゅうげん)のこと。

*2:せきび。山東半島の盗賊集団。眉を赤く塗ったことからその名で呼ばれる。

*3:しんとけん。

*4:ぎょしたいふ。官名。三公の一つ。検察担当の大大臣。

*5:かいごう。群雄の一人。

*6:じちゅう。官名。相談役。

*7:りゅうのうけい。

*8:ちょうきょう。「張卬」(ちょうぎょう)とも。

*9:りょうたん。

*10:こいん。

*11:てんすい。郡名。

*12:張邛・廖湛・胡殷の三王。

*13:馬車をひく騎兵。

*14:しんほう。県名。

*15:だいしば。官名。三公の一つ。軍事担当の大大臣。

*16:ちょうほう。

*17:おうきょう。

*18:ちんしゅう。「陳牧」(ちんぼく)の誤り。「陳茂」とも。

*19:せいたん。

*20:たいしきゅう。皇太子の宮殿。

*21:りしょう。

*22:たいそう。官営の食料庫。

*23:りゅうしゅう。光武帝(こうぶてい)。後漢創始者

*24:ぎょよう。郡名。

*25:はんよう。郡名。

*26:ちゅうざん。国名。

*27:こんよう。県名。

*28:おうもう。新王朝の皇帝。前漢を滅ぼした。

*29:かんたん。県名。

*30:こうじゅん。

*31:ふうい。

*32:きょうか。

*33:ちょうあん。県名。前漢、新の王莽が都とした地。

*34:せきふくふ。神の預言が書かれた御札。

*35:こう。県名。

*36:しゅう

*37:周の武王(ぶおう)が川を渡っているとき、白魚が舟のなかに飛びこんだこと。戦いに勝つことの兆し。

*38:こうゆう。県名。

*39:こうのう。郡名。

*40:せい。国名。

*41:じょうよう。国名。

*42:けいおう。前漢の劉章(りゅうしょう)のこと。

*43:ほうぼう。

*44:ほうよう。

*45:はんすう。赤眉軍頭目

*46:りゅうぼんし。

*47:じょせん。

*48:えききょう。書名。

*49:じょうしょう。官名。宰相。

*50:ぎょしたいふ。官名。三公の一つ。検察担当の大大臣。

*51:しきこう。式を領地とする諸侯。

*52:りゅうほう。

*53:おうもう。新王朝の皇帝。前漢を滅ぼした。

*54:りゅうきょう。

*55:りゅうも

*56:らくよう。県名。

*57:しょうしょ。書名。

*58:かんちゅう。函谷関の内側、長安の一帯。

*59:りゅうきょうけい。

*60:かくほく。地名か。

*61:ぜんしょうぐん。官名。

*62:とうう。

*63:だいしと。官名。民政担当の大大臣。

*64:さんこう。酇を領地とする諸侯。同じく酇を領地とした蕭何になぞらえている。

*65:やおう。県名。

*66:れい。官名。県の長官。世帯数一万以上の県に令、一万未満の県に長を置いた。

*67:おうりょう。

*68:だいしくう。官名。財政担当の大大臣。

*69:ぶきょうこう。武彊を領地とする諸侯。

*70:おうりょう。王梁と同音。

*71:しゅえい。衛の統治者の意。

*72:げんぶ。神の名。

*73:へいてきしょうぐん。官名。平狄は「異民族を平定する」の意。

*74:そんそう。

*75:だいしば。官名。三公の一つ。軍事担当の大大臣。

*76:ごかん。

*77:けいたん。

*78:びょうそう。

*79:しゃきゅう。

*80:ぶようこう。武陽を領地とする諸侯。

*81:ひょうきだいしょうぐん。官名。

*82:かい。県名。

*83:こうじゅん。

*84:もりょう。県名。

*85:とうすう。

*86:そも。

*87:しょうか。高祖の宰相。

*88:ほうせい。

*89:こうそ。劉邦(りゅうほう)のこと。前漢創始者

*90:かだい。郡名。

*91:こうちょう。

*92:こくすう。

*93:へんしょうぐん。官名。