袁尚の部将で、のちに曹操に降った呂曠・呂翔(『後漢書』では高翔)という人がいます。なぜか『三国演義』では兄弟となっていて、その意味でもよく知られた人物だと思いますが、この二人の出身地が東平国です。
東平国といえば兗州に属し、兗州牧から身を立てた曹操のお膝元。なぜ呂曠は曹操の元を去って袁氏に属していたのでしょうか。
東平国は、かつて呂布の乱のとき曹操の信頼を裏切って張邈の元に走った別駕畢諶の出身地です。そして、その張邈もまた東平国の出身者でした。張邈は反乱を起こすにあたり曹操の部下で、同郷の畢諶を招きいれたわけです。
曹操と東平国とのあいだに、なにかしら、わだかまりのようなものがあったように見えます*1。