呉で流行した化粧法

王子年『拾遺記』に載せる孫和のエピソード。

(原文)孫和悅鄧夫人,常置膝上。和於月下舞水精如意,誤傷夫人頰,血流污褲,嬌奼彌苦。自舐其瘡,命太醫合藥。醫曰:“得白獺髓,雜玉與琥珀屑,當滅此痕。”即購致百金,能得白獺髓者,厚賞之。有富春漁人云:“此物知人欲取,則逃入石穴。伺其祭魚之時,獺有鬥死者,穴中應有枯骨,雖無髓,其骨可合玉舂為粉,噴於瘡上,其痕則滅。”和乃命合此膏,琥珀太多,及差而有赤點如朱,逼而視之,更益其妍。諸嬖人欲要寵,皆以丹脂點頰而後進幸。妖惑相動,遂成淫俗。

(訳文)孫和が鄧夫人を寵愛するさまは、いつも膝のうえに座らせているほどであったが、月見の席で『水精如意』の舞をしているとき、うっかり鄧夫人の頰を傷つけてしまった。血は流れて袴を汚し、さしもの美貌も失われるものがあった。孫和はみずから傷を舐めてやり、太医令に薬を調合せよと命じた。

医師が「白い川獺の骨髄を入手して、宝石や琥珀の粉を混ぜれば、傷跡を消すことができましょう」と言ったので、すぐさま百金の賞金を手配し、白い川獺の骨髄を募集して手厚く褒美をとらせると約束した。

富春に漁師がいて、彼の言うには「あいつは人間が捕まえようとすると、すぐ洞穴に逃げこんじまうんですよ。川獺には魚を供物にして祭祀を行う習性がありやすが、あっしが思うに、穴んなかに戦いで死んだ川獺が葬られているんでしょう。骨髄はないとしても、その枯骨と宝石とを一緒に臼でひいて、粉を傷の上に塗りゃあ傷跡なんか消えちまうでしょうよ」とのこと。

そこで孫和はその膏薬を調合せよと命じたのであるが、琥珀の分量が多すぎた。塗ると口紅のように赤い印がつく。近づいてよくよく見ると、その妖艶さますます高まったのである。

宮女たちはご寵愛が欲しいものだから、みなで口紅を頰に塗り、それからお伽に入るようになった。でたらめがでたらめを呼び、とうとう悪しき風習となってしまった。

今回の訳にはいろいろ疑問があって、まず「水精如意」を舞の演目の名と解釈したけどどうなんだろう。「嬌奼彌苦」というのが「ますます磨きがかかった」とも読めるような気がする。その他もろもろ。川獺には捕まえた魚を岸辺に並べる習性があるのだそうで、百舌の早贄みたいなもんですかね。それを『礼記』では「獺の祭魚」と呼んでる。川獺の戦いというのは雄同士が雌を争うこと。

孫和が鄧夫人に萌え萌えすぎて、バカ殿みたいで好きだ。