西涼の馬超

西涼馬超なんか実在しません。
光栄のゲームなんかだと、なぜか馬騰馬超父子の領土が敦煌あたりまで広がってますけど、この父子が敦煌を領有したことはありません(おもに故郷の扶風郡に駐屯した。←長安からは目と鼻の先)。ずっと後の時代に敦煌で「西涼」という国が作られたことと、イスラム教徒が漢化したとき馬姓を称したことをヒントに、羅貫中や、それ以前の物語作者が、父子を異邦人のように仕立てたのだろうと思います。物語としては面白いですけど、史実ではありません。