李傕政権

李傕という人物の個人的な能力についてはさておき、彼を頂点とする政権が、董卓政権が失った領土のうちかなりの部分を回復したことは否定のできない事実である。董卓袁紹袁術らと訣別してプレ三国時代を招来し函谷関以西のローカル政権に落ちぶれたが、李傕は袁術との関係修復を成功させて中国全土の三分の二を影響圏に復した(袁術のほか劉表陶謙曹操らとも復交)。おそらくその実現にあたっては政権下の名士出身の官僚らの尽力があったと思われ、政権内における絶対的君主権の確立という点で董卓ほどに及ばないとしても、官僚・群雄らとの緩やかな連合をベースとした政権全体の安定性という点では董卓に勝っていたと考えられる。戦略的な影響力では董卓をはるかに上回っており、連合軍諸将にとってもより手ごわい敵手であっただろう。