劉焉父子

劉焉父子がいかにして益州豪族を抑制し、支配権を確立したのか、簡単に図式化してみる。


まず馬相が挙兵する。これに賈龍が対抗。どちらも益州民である。豪族同士の勢力争いと見られる。

賈龍が馬相を破り、劉焉を推戴する。その後も馬相一派のパージが続いたと思われる。→[賈龍派 vs 馬相派]


賈龍一派の栄耀栄華は長く続かなかった。眼前に立ちはだかったのが劉焉だった。

劉焉は賈龍らを殺し、馬相、賈龍の両派を制圧することに成功する。→[劉焉 vs 益州豪族]


劉焉の死後、益州豪族の趙韙によって劉璋が擁立される。ふたたび益州豪族が実権を回復。

劉璋は東州兵を組織して趙韙を殺し、益州豪族から支配権を取りもどす。→[劉璋 vs 益州豪族]


劉璋の統治中、呉懿李厳など他州から連れこまれた武将が強い存在感を持っていたことは間違いないだろう。

しかし、そこへ曹操劉備が介入して中央の政争を持ちこんだため、もはや内紛どころではなくなってしまった。