傅方と胡脩の死

『蜀鑑』
(原文)權聞之遂發兵襲羽,以呂蒙爲大督,孫權上書曹操,請討羽自效。羽聞之,猶豫不能去,會傅方、胡修皆死,羽遂撤樊城之圍。
(訳文)孫権はそれを聞いてついに関羽襲撃の兵を起こし、呂蒙を大督とした。孫権曹操に手紙を進呈し、関羽討伐をもって身の証としたいと願いいれた。関羽はそれを聞いてもぐずぐずとして立ち去らなかったが、ちょうど傅方と胡脩が二人とも死んでしまったので、関羽はようやく樊城の包囲を取りはらうことにした。

『晋書』では関羽に降ったとしか書かれてない傅方、胡脩の両名が、ここでは同時期に死んで、それが関羽の撤退のきっかけとされている。なにを根拠にそう記したのだろうか。