関索の妻

『古今図書集成』にはこんなものまで載っている。

(原文)關索妻。按《蘄水縣志》:王氏名桃,女弟悦,漢末時人,俱笄年未字,有膂力,精諸家武藝。値兵亂,聚蘆塘,保郷里。毎相謂曰:天下有英雄男子,而材技勝我者,則相託終身。時絶少匹敵者。適河東關公長子索,英偉健捷。桃姊妹俱與較,俱不勝,遂俱歸之。先是,邑中有鮑氏女,材行與桃、悦似,而悍鷙差,勝亦歸索。三人皆棄家從關,百戰以終。(按正史未見)

(訳文)関索の妻。『蘄水県志』を調べたところによると――。
王氏は名を桃といい、妹を悦といい、漢代末期の人である。いずれも笄を指すべき年になっても字を持たず、強力の持ち主で、さまざまな流派の武芸に精通していた。兵乱に出くわしたため、蘆の葉でバリケードを築いて郷里を守った。
いつも「天下の英雄男子のうち武芸でわたしたちに勝てる人がいたら、お嫁に行こうね」と言いあっていたが、当時、匹敵できる者がほとんどいなかったので、河東へ出かけた。
関羽の長男・関索は力強く敏捷で、姉妹はかれと力比べをしたが、どちらも勝つことができなかった。そこで二人ともかれに嫁いだのであった。
それ以前のこと、村に鮑氏という娘がいて、腕並みや人柄が王桃たちに似ているばかりか、精悍さではそれ以上であった。しかしやはり関索に屈服することになり、三人はみな実家を棄てて関氏に従い、百度の戦いに参加して生涯を終えた。(正史には記録がない。)

(原文)鮑家莊。在北嶺上。漢末鮑氏三娘勇力絶異,廉康賊欲妻之,不屈。與戰,破之。後關索來攻,遂以城降。同為漢室討賊,今城蹟尚存。
(訳文)鮑家荘。北嶺の頂きにある。漢代末期、鮑家の三番目の娘は武勇絶倫で、廉康の賊徒が妻に取ろうとしたが屈服せず、これと戦って打ちやぶった。のちに関索が攻めてきたとき、城ごと降参し、ともに漢室を助けて賊徒を討伐した。城跡はいまなお残っている。