魏興太守魏延

『古今図書集成』から。

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(原文)魏明帝太和元年十二月,孟達以上庸降蜀,諸葛亮魏延守魏興。
(訳文)魏の明帝の太和元年(二二七)十二月、孟達が上庸をこぞって蜀に降り、諸葛亮魏延に魏興を守らせた。

『興安州志』からの引用だというが、その『興安州志』の根拠がよく分からない。少なくとも『三国志』『晋書』『資治通鑑』『華陽国志』『太平御覧』『水経注疏』ではなかった。

魏延の北伐にかんする提案「子午谷を経由して長安へ」というのも、この魏興との関係から来ているのかもしれない。

『晋書』宣帝紀
(原文)吳蜀各遣其將向西城安橋、木闌塞以救達,帝分諸將以距之.
(訳文)呉蜀はそれぞれ西城の安橋、木闌塞に部将を派遣して孟達を支援させたが、帝は諸将を分遣してそれを妨害した。

この西城に派遣された蜀将というのが魏延のことなのだろうか*1。いずれにしても孟達は二十四日で敗死しているので、魏延も魏興においては活躍の場がなかったはずである。

*1:このほか姚静・鄭他という蜀将が司馬懿に降服しているが、おそらくこれは魏興郡民だろう。