曹休墓

こんどは曹休か。

曹操の一族、曹休の墓を発見、副葬品で断定―中国・河南省

  河南省文物局は17日、同省洛陽市孟仁県で、「三国志」で有名な曹操の一族である曹休の陵墓を発見したと発表した。

  同陵墓の所在地は、洛陽市孟仁県宋荘郷三十里鋪村。現地には漢代皇帝の陵墓群があるが、その東側という。多くの墓室があり、墓全体の大きさは東西50.6メートルで、南北21.1メートル。地表からの深さは10メートル。

  墓の中には人骨が散乱しており、50歳前後の男性のものと、40歳前後の女性のものと確認された。墓質内で見つかった銅製の印にあった「曹休」の文字から、葬られていた人物が特定できたという。

  曹の生年は不詳。西暦2世紀末から3世紀にかけて、魏の武将として活躍した。曹操の曽祖父にあたる曹節の血筋を引き、一族としては曹操の次の世代に属する。ただし、曹操の祖父の曹騰は宦官になり、夏侯家から養子(曹嵩)を迎えたので、曹操曹休に血縁関係はない。

  曹休は父親を早く亡くし、漢朝末の動乱期に挙兵した曹操のもとに参じた。曹操曹休を高く評価し、可愛がった。曹休は、曹操曹丕曹叡と、魏の支配者3代に使え、蜀(蜀漢)や呉との戦いの多くで活躍した。しかし西暦228年、偽りの内通をした呉の周魴の策にはまり敗走。憤激のため悪性の腫瘍を患い、死去したとされる。(編集担当:如月隼人)

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