孫権探検隊!孫権探検隊!

『水経注疏』の電子テキスト化中。蜀の郤正を「卻正」とする誤記あり。

(原文)守敬按:此注下文稱康泰《扶南傳》,《隋志》不著錄,而《御覽》亦屢引之。又《御覽》三百五十九引康泰《吳時外國傳》,據《梁書・海南諸國傳》吳孫權遣宣化從事朱應﹑中郎康泰通諸國,其所經及傳聞,則有百數十國,因立記傳。然則《吳時外國傳》,其總名,《扶南傳》又其書之一種。此言安息等國,當《吳時外國傳》文也。
(訳文)楊守敬は思ったよ。この注以下、康泰の『扶南伝』なんてのが出てくるけど『隋書・経籍志』には記録されてないよ。でも『太平御覧』は何度もこれを引用してるよ。それと『太平御覧』には康泰の『呉時外国伝』の引用なんてのもあるね。『梁書・海南諸国伝』を調べてみたら、呉の孫権は宣化従事朱応と中郎康泰を諸国に派遣して、訪れた国、噂に聞いた国が合わせて百数十ヶ国になったので伝記を作ったんだそうな。要するに『呉時外国伝』ってのが全体の名前で、『扶南伝』ってのはその本の一部なんだろうね。ここで安息などの国々に言及してるのも『呉時外国伝』からの引用なのかな。

孫権の未開拓地域探険計画も案外ばかにならないという教訓。