博士は定員各1名

李儒がらみで話題になることがあったけれども、どうも博士の定員が14人だったと誤解されてるような気がする。

後漢書』百官志
(原文)博士十四人,比六百石.本注曰:易四,施、孟、梁丘、京氏.尚書三,歐陽、大小夏侯氏.詩三,魯、齊、韓氏.禮二,大小戴氏.春秋二,公羊嚴、顏氏.掌教弟子.國有疑事,掌承問對.本四百石,宣帝増秩.
(訳文)博士は十四人、比六百石。本注に言う。易に施、孟、梁丘、京氏の四人、尚書に欧陽、大夏侯、小夏侯氏の三人、詩に魯、斉、韓氏の三人、礼に大戴、小戴氏の二人、春秋に公羊厳、顔氏の二人。弟子たちの教育と、国家問題での諮問に回答するのが担当。本来は四百石であったが宣帝が加増した。

というわけで、全部で14の学科に、それぞれの分野の第一人者が指導教官として博士にあてられている。だから博士という大ざっぱな枠のなかに14人がたむろしていると考えるのは間違いで、京氏易の博士に定員1名、欧陽尚書の博士に定員1名と、その分野では当代随一の大学者がたった1人しか受任できないと理解するのが正解。ここを取りこぼしていると話がさきに進まない。