麻生太郎さんとカップ麺、漢字テスト

たびたび話題になるわりに、きちんと議事録が参照されていないのではないかと思われる言及事例がしばしば見られ、また国会会議録検索システムが個別の記事にパーマリンクを用意していないので、ここに転載しておこうと思います。

カップ麺について

当時マスメディアでは、麻生太郎さんの「庶民感覚」を疑問視する報道がさかんに流れていました。そうした報道がなされていたなかで、民主党の牧山ひろえ議員がカップ麺の価格を尋ね、麻生太郎さんが平均価格よりかなり高く返答したことで、またしてもメディアは麻生さんの「庶民感覚」の欠如をことあげした、という経緯があります。そうした報道を受けて、牧山さんに対して、「くだらぬ質問をするな」といった批判の声も多々見られました。

しかし議事録を参照すると、牧山さんは、麻生さんの「庶民感覚」を問題視しているわけではないのです。


平成20年10月28日 参議院 外交防衛委員会
165 ○牧山ひろえ君 そもそもこの格差社会というのをつくったきっかけというのは、今の自公の責任ではないでしょうか。強い者はどんどん強くなり、そして弱い者はどんどん弱くなるという、そういう社会をつくってしまったことを真剣に考えていただきたいと思います。
 そろそろ昼食の時間ですので、テレビを御覧になっている方も、今日はお昼を何を食べようかなと考えていると思います。
 私自身、二人の子供を持つ母親ですので、食の安全の問題ですとか食の価格の問題ですとか、食にまつわることは常に意識しております。
 さて、お昼の代名詞といえば即席めんです。この即席めん、日本即席食品工業協会によりますと、袋とカップ両方合わせると、国民一人当たり年間四十二個消費するそうです。ですから、このテレビを御覧になっている方も、今日は即席めんを食べようかなと考えている方もいらっしゃるかもしれません。
 では総理、突然の質問なんですが、この即席めん、今幾らぐらいで買えると思いますか。いわゆるカップラーメン、一つ幾らぐらいだと思うか、御存じでしょうか。
166 ○内閣総理大臣麻生太郎君) 最近買ったことがないんでよく知りませんけれども、昔最初に出たのが、最初に出たときは、日清が出したときに、たしかえらい安く出たなというのがあるんですが、あのとき何十円かで、今四百円ぐらいします。
167 ○牧山ひろえ君 そんなにしないですよ。
168 ○内閣総理大臣麻生太郎君) そんなにはしない。そんなにはしません。
 私、そんな、最近それを自分で買ったことが余りありませんので、その値段を直ちに言われても、随分いろいろ種類が出てきているということは知っています。
169 ○牧山ひろえ君 定価は百七十円ぐらいです。今年に入ってから値上げをされましたけれども、昨年までは百五十五円、そしてその前には百四十円でした。今やカップラーメンは二百円を迫ろうとしているんです。本当に高い食べ物になろうとしているところでございます。
 収入は伸びずに食品が値上がりする。まさに今、国民生活は生活水準の維持確保が大前提となるほど圧迫しているんです。政府は、定額減税を改めて商品券のような何かばらまき政策をお考えのようですが、例えば輸入小麦の価格をコントロールできる立場の政府が国民生活のために小麦価格を下げるなど、国民生活に直結する経済対策にするべきであると思います。

麻生さんの庶民感覚は問題にされてませんね。

牧山さんの質問の意図は、「国民生活を圧迫しているので小麦価格を抑えるような対策を取ってほしい」と訴えることにあり、その話のマクラとしてカップ麺の価格を尋ねていることが分かります。

牧山さんはカップ麺が高くなっていると言いたいわけですから、むしろ麻生さんには実際より安い価格で答えてもらったほうが、その後の価格調整の話をしやすかったはずです。ところが実際、麻生さんが「四百円ぐらい」と答えたので、牧山さんもちょっと困惑したような様子が映像からも見てとれました。

ところがメディアの多くでは、当時は前述のような風潮がありましたから、この問答も麻生さんの「庶民感覚」の欠如をあらわすエピソードとして利用し、あたかも牧山さんがそれを問題視しているかのような編集をほどこした報道がなされました。

漢字テストについて

また、当時は麻生さんの語彙力を疑うような報道もしばしばされています。麻生さんには「未曾有」を「みぞうゆう」、「踏襲」を「ふしゅう」と言いまちがえた事実があります。それを受けて民主党副代表の石井一議員が、麻生さんの語彙力を試すような「漢字テスト」をしたことで、その報道を見たひとは前述と同様に「くだらぬ質問をするな」と石井さんを批判する一幕がありました。

どのような文脈で「漢字テスト」が現れたのか、議事録を参照してみます。

平成21年01月20日 参議院 予算委員会
196 ○石井一君 議院内閣制と大統領制が違うからこれだけ差がある、説得力がないね。今の話を国民が聞いておって、それがいかぬのですよ。やはり根本的な大きな違いというものをもう少し総理としては認識していただきたいんですが。
 そこで、私はこの間、本委員会で質問をした文芸春秋をもう一遍出してきて読んだ。いいことを書いているよね、私は決断した、私はぶれない、国会の冒頭に解散するに始まって、私はプロの政治家だと。これ、すべていいよ。しかし、私はこれを精読して、あれ、原稿用紙三十五枚、四十枚の大作よ。本当にあなたが書いたのかなと。いや、ちょっと無理があるんじゃないか。書かれたんですか、いかがですか、率直に言ってくださいよ。
197 ○内閣総理大臣麻生太郎君) 御期待を裏切るようで恐縮ですけど、書かせていただきました。
198 ○石井一君 余り無理な言い方をしなさんなよ。世の中にはスピーチライターというのもゴーストライターというのもあるんですよ。オバマさんにはファブローという立派なライターがあるんだから。そうしなきゃ総理の仕事というのは無理なんですがね。
 私が検証したら、あなたは九月二十二日にしかこれ書けなかったのよ。それまでは遊説に回っている。二十二日は総裁選挙だ。テレビのインタビューもある。それから直ちに三役、組閣に入らないかぬ。国連へ行かないかぬ。書けっこないんだ。それなら、だれかに書いてもらって、自分が見たとでも言やいいんだよ。余り強弁しなさんなよ。
 それからもう一つ、あえて言うけれどもね、この漢字がある、漢字が。(資料提示)これ、こういう漢字があるんですが、そっちに回っていますか。漢字のリスト、回っておるでしょう。
 これ、最近は漢字が売れずに、いや、売れるんじゃないんや、「読めないとバカにされる漢字」なんていう本も出ておるのよ。物すごく売れておるというんだね。これは物すごく、あなた、これは、そういう面では消費者の購買意欲に対して貢献をされておるということだ。
 ここに書いてある文字は、私がこの中から持ってきたんでなしに、あなたの文章の中にある全部文字ですよ。私は、これ隠して、あなた一遍読んでみと言って、どれだけ読めるかやりたかったんだけれども、そんな、いや、それはもう先に渡してあるから、今なら読めるでしょう。それはそうじゃないの。いやいや、だから、話は前へ進めましょう。
 この一番なんかだって、「なかんずく」や、これ、難しいね。四番だって、これ、何て読むの、「ひっきょう」、こんな言葉、相当高度だよね。あなたの漢字力からして、届くかなと。七番も難しい。十番も難しい。そういうこと、いたずらにこの時間を費やしませんけれども、これはだれかが書いて、あなたが承認したと、そう言わざるを得ぬと思うんですが、いかがですか。
199 ○内閣総理大臣麻生太郎君) 多分、皆さん方がお読みになりにくいのは身を「やつし」ぐらいじゃないですか。あとの漢字は、普通、皆さんお読みになれる単語じゃないでしょうか。
200 ○石井一君 もしそうなら、何で「みぞうゆう」とか、それからそのほか、「踏襲」を「ふしゅう」とか言うんだよ。おかしいよ。それも強弁ですよ。あるものは認め、あるものは率直に訂正するという心がなかったら、それをやっておったら、だんだんだんだんまた支持率下がるよ。私は先輩として、恐縮ですけれども、御忠告を申し上げて、次に移らせていただきたいなというふうに思います。
 スピーチライターぐらいしっかり決めろよ。そうしてやらぬと、あんな文章をやって、書くだけで全然書いてあることをやらなかったら、書いたらやれ、やれなかったら書くな、こういう話になるんですから、総理の見識というのはますます下がるということを申し上げておきたいなというふうに思います。

議事録中に「資料提示」とあるのは、ふりがなを伏せた、いくつかの難読漢字を表示するフリップを掲げたことを指しています。

こうして見ると、麻生さんが『文藝春秋』という雑誌に論文を寄稿し、そのなかに「国会の冒頭に解散する」とあるので、石井さんがその実行を求めた、という文脈にあることが分かります。また、石井さんは麻生さんがゴーストライターを使うことを責めているわけではありません。

オレが思うには、論文の書き手がゴーストライターであるかいなかに関わらず、それが麻生さんの名義で寄稿されて麻生さんご自身が承認した以上、麻生さんはその内容に責任を持つべきであり、したがって石井さんが「漢字テスト」まで迫ってゴーストライターを使ったかどうか証明しようとしたことはまったく無意味です。麻生論文に「解散する」と書いてあるから直ちに実行せよ、と要求するだけで充分だったはずです。

そもそも漢字の読み書きができるかいなかは、政治家としての資質力量の評価を左右するものではありません。

にも関わらず、わざわざテレビ映えするフリップまで作成して麻生さんを試したというのは、当時の麻生さんの語彙力を問うようなメディアの風潮に便乗した、悪意ある宣伝のように思われるのですが、いかがでしょうか。