龐統 立身出世する

こないだのエントリトラックバックいただいたので、調子に乗って、また龐統について取り上げてみよう、みよう。

さて、龐統が不細工だったのは有名な話。『三国演義』では次のように書かれています。

(訳文)孫権がその人を見ると、濃い眉毛に上向きの鼻、顔は黒くてひげは短く、奇怪な風体であったので、内心、不愉快になった。
(原文)權見其人濃眉掀鼻,鄢面短髯,形容古怪,心中不喜。

(訳文)玄徳は龐統のむさい顔を見て、内心、やはり不愉快になった。
(原文)玄紱見統貌陋,心中亦不絓。

龐統は生まれつき容姿に恵まれなかったため、孫権劉備に重用されなかったという筋書きになっています。一方、才を好む曹操は、そんな龐統を卑しむことなく彼の計略を大喜びで受け入れることになっていて、劉備との比較によって器の大きさが強調されているわけです。

曹操赤壁決戦を前にして慎重になっていたので龐統を尊重し、西涼馬超を撃破したあと慢心していたので張松をむげに扱った。劉備は最初に龐統を見誤ったのを反省し、今度は張松を丁重に待遇した。曹操劉備。この対比もよく考え尽くされている。こういうとこでも羅貫中スゲェーと私は思うのだが、みんな評価してくれない、というか『演義』読んでない。すごくもったいないと思うんだけど…。)

三国志』ではどうなってんの?と調べてみると、ちくまの訳文では次のようにあります。

龐統は字を士元といい、襄陽郡の人である。若いころ地味でもっさりしていたので、まだ評価する者がなかった。

うーん、これは、しかし…!この翻訳はかなり危ないというか、誤解を招きやすいものではないでしょうか。さきに『演義』を知って龐統が不細工だという先入観を持ってる人がこれを読んだら、まるで彼の容姿について書かれているのだと錯覚してしまいます。原文を見れば、これが彼の容姿を表現したものでないことが分かります。

龐統字士元,襄陽人也.少時樸鈍,未有識者

「樸」というのは粗木のことで、山から切って落として、それからなにも加工してない状態の木材です。皮をはいだり、手頃な大きさに切りそろえたり、表面をかんながけしたり、彫刻を施したりする前の、ほんとうに山から切ってきたばかりの状態でごろんと転がしてあるような木材です。見た目は山の物でしかありませんが、これから加工すればどんなにいいものができるか分かりません。可能性を秘めているわけです。

「鈍」はにぶいこと。これは問題ないですね。刃物が鋭くなくて、切れ味がよくないことです。刃物の切れ味を知能のたとえに使っています。

この時代、出世するのに一番の早道は、有名な人物に認められて人々に名前を覚えてもらうことでした。だから、立身出世をめざす人はみんな、なんとかして自分を売り込もうと実際の才能以上に自分を派手に演出したわけです。何晏しかり。諸葛恪しかり。ある人は華美な衣装を身に着け、ある人は言葉遣いや礼法にかなった仕草に気を遣い、ある人はとっさの機転で他人をやりこめるような話術を修得し、ある人は流麗な言葉をちりばめた詩や論文を書き、ある人は難解な理屈をこねて他人を煙に巻き、ある人は実家の財産を盛大にばらまいて無欲を誇示しました。まさに粗木の皮をはいで切りそろえ、表面に彫刻を施したり、刃物を研いで研いで切れ味をよくするのと同じです。

でも、龐統はそうしなかった。

自分を表面的に飾り立てるのではなく、ありのまま、身の丈にあった振る舞いをした。他人が自分のことをどう思うかを気にしなかった。華美な衣装を身に着けるでもなく、言葉や仕草に気を遣うでもなく、弁舌巧みに他人を言いこめるでもなく、彩りあでやかな文章を書き上げるでもなく、理屈を言って他人を惑わすでもなく、財産を浪費するわけでもなく、ただ、ただ、ひたすら内面の充実だけを心掛けたのです。

「樸鈍」って、そういうこと。

だから周囲の人々は彼の才能に気付かなかった。彼を軽蔑したというよりは、ほんとうに気付かなかった。龐統は、表面だけを見て他人の値打ちを決めるのではなく、その人の内に秘めた性質や才能をしっかりと見抜く、ほんとうの君主に出会うその日をずっと待ち続けていたのです。

そして龐統は劉備に出会い、ようやく世に羽ばたく時がやってきた……と、思いきや!風雲急を告げ、ここで予想だにせぬ事態がァッッ!?

(次回へ続く)