曹氏の系譜
曹操以前の世代が故意にぼかされてる気がする。
曹萌━┳曹伯興 ┣曹仲興 ┣曹叔興━○○━━○○━━曹冏 ┗曹騰=┳曹嵩━┳曹操 ┃ ┣曹彬==曹均 ┃ ┣曹玉==曹徽 ┃ ┗曹徳 ┗○○ 曹褒━┳曹熾━┳曹仁 ┃ ┗曹純 ┗曹胤 ┳曹鼎 ┗○○━━曹洪 曹瑜 曹呉郡━○○━━曹休 秦邵━━曹真 曹紹==曹整
曹萌。字元偉。名一作節誤。不仕。子伯興、仲興、叔興、騰。(武帝紀注引『続漢書』)
曹伯興。萌子。(武帝紀注引『続漢書』)
曹仲興。萌子。(武帝紀注引『続漢書』)
曹叔興。萌子。曾孫冏。(武帝紀注引『続漢書』及武文世王公伝注引『魏氏春秋』)
曹冏。叔興後、魏少帝族祖。(武文世王公伝注引『魏氏春秋』)
曹騰。字季興。萌子。漢中常侍、大長秋。子嵩。(武帝紀)
曹嵩。字巨高。騰養子。漢太尉。子操、徳等。(武帝紀及注引『続漢書』)
曹操。字孟徳。嵩子。漢丞相、魏武帝。(武帝紀)
曹彬。操弟。魏薊恭公。養子均。(武文世王公伝)
曹玉。操弟。魏朗陵哀公。養子徽。(武文世王公伝)
曹徳。一名疾。嵩子。(武帝紀注引『世語』及『後漢書』応劭伝)
曹褒。萌子。漢潁川太守。子熾、胤。(曹仁伝注引『魏書』及『水経注』)
曹熾。褒子。漢長水校尉。子仁、純。(曹仁伝注引『魏書』)
曹仁。字子孝。熾子。魏大司馬。(本伝及注引『魏書』)
曹純。字子和。熾子。漢司空参軍。(曹仁伝)
曹胤。褒子。漢謁者。(『水経注』)
曹鼎。萌孫。漢尚書令。(曹洪伝注引『魏書』及『水経注』)
曹洪。字子廉。鼎従子。魏驃騎将軍。(本伝及注引『魏書』)
曹瑜。洪族父。魏衛将軍。(曹洪伝)
曹呉郡。漢呉郡太守。孫休。(曹休伝及注引『魏書』)
曹休。字文烈。呉郡孫。魏大司馬。(本伝及注引『魏書』)
曹真。字子丹。秦邵子、養曹氏。魏大司馬。(本伝及注引『魏略』)
曹紹。操従弟。漢郎中。養子整。(武文世王公伝)
曹褒は、曹萌の子で曹騰の兄にあたるのが確実だが、伯興、仲興、叔興のいずれに該当するか分からない。曹仁は、曹操の従弟だというが、実際には又従弟の関係にあたっている。曹洪も同様であるから、かれの祖父も曹騰の兄にあたる人物であろう。曹操には名の伝わらない叔父が少なくとも一人いることが分かっている。曹操の仮病にたぶらかされた人である。
曹瑜のことを、陳寿は曹洪の族父と呼んでいるが、ならば曹操の族父でもあり、ここでわざわざ曹洪との続柄を書く必要はないはずである。『魏書』巻九は曹操と同世代のものを列記し、続いて曹丕の世代のものを列記する体裁を採っており、曹洪は第一世代の最後に配列されている。曹瑜がとりわけ曹洪との関係が強いということではなく、曹洪らの第一世代からみて上の世代ということであろう。巻十七に張遼らを列記し、巻末の徐晃伝に附して「朱霊は徐晃につぐ」とあるのと同様である。朱霊は延康元年(220年)、張遼、張郃、徐晃らとともに四方将軍に任じられていた。
曹呉郡と、曹操らとの関係はよく分からない。曹真の実父は秦邵であるが、秦邵が死んだのち曹氏に養われて改姓した。曹紹は曹操の従弟にあたる人物だが、やはり系統はよく分からない。曹冏は曹叔興の子孫であり、少帝(曹芳)からみれば二つ上の世代にあたるという。
曹萌に伝えられるエピソードは『後漢書』卓茂伝や劉寛伝などに記載されるものと同じで、それをのぞけば皆無といえる。実際には何も伝わっていないため、他人の逸話を剽窃したものだろう。とすれば、曹操の祖先はせいぜい二世代しかさかのぼることができず、汝陽の袁氏らにくらべれば、曹氏がいかに新興の家であるのかが明らかに理解できるというものだ。