趙雲と本多忠勝

趙雲の最期は本多忠勝に似てるということ。
中国語は読めないんですが、一生懸命読んでます。これは中国ではそこそこ有名な話です。

【三国演義OnLine】
趙子龍の妻は姓を孫、幼名を軟児といいました。きれいな顔立ちにおてんばな性格で、趙子龍とは仲良しなのでした。二人はいつも冗談を言いあったり、じゃれあったりしてたのです。ある日、趙子龍は戦場から帰ってくると、軟児がお風呂を沸かしてくれていたので、着物を脱いでざぶんとお風呂に入りました。軟児はそのそばで刺繍をしています。薄明かりのした、軟児は、夫の体が水晶のように透きとおり、白い肌が桃色に染まっていくのに気がつきました。軟児はだんだん不思議に思えてきて、言いました。「いつも戦争に出かけているのに、どうしてそんなにぴかぴかのお肌でいられるの?」子龍は笑って言いました。「ぼくは戦場でも百戦百勝、一度も怪我をしたことがないんだ。それで常勝将軍と呼ばれてるってわけさ。」軟児は目をくりくりさせて笑顔を浮かべ、「今日は将軍さまを刺繍しちゃおうかしら?」と冗談を言いました。そして持っていた刺繍針を趙子龍の肩にちくりと刺してみたのです。もちろんそれはちょっとしたいたずらだったのです。ところが、一針刺したとたん、趙子龍はまっ赤な血が泉のように噴きだし、どくどくと流れだして止まりません。軟児はびっくりして、あわてて薬箱を持ってきて治そうとしますが、どうやっても効き目がありません。趙子龍は自分の命もこれまでだと悟り、妻を責めたりはせず、ただただ「これが運命なのだなあ」と思いました。それからすぐに顔から血の気がひいて、亡くなったのでした。軟児は泣いて泣いて声もかれて、自分を責めて責めて責めぬいて、すぐに刀で自分の首を切って、趙子龍のそばで死にました。そして天国のおしどり夫婦になったのでした。

本多忠勝の話はたぶん岡谷繁実『名将言行録』が出典だと思うけど、検索してみても、このエピソードを詳しく紹介してるページが出てこない…。かるく概要にふれているページから引用します。

【フロンティア・サイド】戦国武将列伝
忠勝は大小合戦に五十七回参戦して傷を負ったことが一度もなかったが、晩年に小刀で自ら指を怪我し、自分の死期を悟ったという。慶長十五年(1610)没。享年六十三歳。

たしか、孫に小刀でみかんをむいてやっていて、うっかり指先を傷付けてしまい、「生まれて初めて切り傷を作ってしまった」とつぶやいた、という話だったと思います。