いじめは本能?

【模型ダイアリー】見下し病
いじめは人間社会特有の現象ではありません。社会的行動をする動物にしばしば見られる現象です。猿社会にもいじめはあります。そして、人間は生物学的には少々頭のいい猿に過ぎません。
動物社会にも共通して見られる問題である以上、いじめ問題の解決は人間の本能面からもアプローチする方が科学的でしょう。

【Munchener Brucke】いじめの質的変化
 いじめというのは太古の昔から存在する。動物にだっていじめが存在するのだから、人間がまだホモ・サピエンスに進化する前からいじめは存在したのであろう。多くの人が理想化してやまない「昔の日本」にもいじめは存在していたのに、なぜ最近になって大きく騒がれるようになったのか。

いじめは、ほんとうに本能に根ざしているのでしょうか? どうもこの前提が私の経験則にそぐわないのですが…。「本能」という言葉を用いる場合、下手すると「闘争本能」だとか「男の浮気は本能」だとかいったインチキくさい(そしてなぜか中年男性の香りただよう)議論になりかねないという懸念もあり。もし人間だけが社会を築くとするならば、その社会の内側にあるいじめと、社会を持たない動物のいじめを同一視するのはまずかぁないかという気がします。

私の経験則というのは、他者に対する優越を是とする価値観(→プライド)は教育によって植え付けられるというものです。

追記 2006-12-28

【Apes! Not Monkeys!】
著者の立場をひとことで要約すると「行動の複雑性を満足のいくように説明するには発達の観点が欠かせない」(34ページ)、ということになる。この立場から生得説が厳しく批判されているわけだが、著者の辛辣さがもっとも発揮されているのは、「複雑かつ精緻な行動は(遺伝子によって)デザインされているに違いない」という生得説の発想が創造説のそれと通底している、という指摘であろう(第2章)。
(略)
「生得的」とされている行動の多くは遺伝子のみによってデザインされているわけではなく、「種に特有の環境」、「通常発生する経験」、「動物の世界の通常の配置」といった要因にも左右される。