2010-10-09から1日間の記事一覧

蜀の諡法

『晋書』景帝紀 文帝が上表して謙譲した。「わたくしの亡き父は丞相、相国、九命の礼をあえて受けず、亡き兄は相国の官位をあえて受けなかったのは、まことに太祖がつねづね区別をしていたからでございます。いま諡号が二祖と同じであることは、必ずや恐懼す…

関羽は徐州刺史

『三国志』関羽伝の注に引く『魏書』 羽を以て徐州を領せしむ。 用例から見れば、「領○○州」とあれば「○○州の刺史に任じた」という意味だと分かる。このとき劉備は予州牧であったので、自身は予州の小沛に駐屯して曹操の攻撃に備えていた。代わって、関羽が…

黄権と諸葛亮、劉備

『三国志』黄権伝 先主は「孤が黄権に背いたのだ。黄権が孤に背いたのではない」といい、これまで通りに待遇した。 『三国志』黄権伝の注に引く『漢晋春秋』 文帝は詔勅をもって喪中を告げよと命じた。黄権は答えた。「わたくしと劉、葛は誠心を込めて信頼し…

魏の益州刺史

『三国志』黄権伝 後に益州刺史を領し、徙りて河南を占む。大将軍司馬宣王深く之を器とす。 もともと「東三郡」(上庸、房陵、魏興)は漢中の一部だったが、西の盆地を蜀漢、東の三郡を曹魏が分かち合ったため、曹魏は益州のうち東三郡しか領有できなかった…

2010年10月08日のつぶやき

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