魏の益州刺史

三国志黄権
後に益州刺史を領し、徙りて河南を占む。大将軍司馬宣王深く之を器とす。

もともと「東三郡」(上庸、房陵、魏興)は漢中の一部だったが、西の盆地を蜀漢、東の三郡を曹魏が分かち合ったため、曹魏益州のうち東三郡しか領有できなかった。そこで東三郡は荊州に所属させて益州を省いたが、ときに益州を置くこともあった。黄権はそうした益州刺史の一人であった。