日本における食人事例2

http://d.hatena.ne.jp/mujin/20050822/p1の続き。

検索しているうちに、ザ掲示板で関連スレッドを見つけたので、日本における食人事例(これに相当しないものもいくつか)を抜き出して保存。出所を明示しているもの、あるいは出所に辿りつける見込みのあるものを選んでます。内容を吟味したわけではないので、重複もあると思います。

http://history.log.thebbs.jp/1117583815.html
[9]ほれ 05/06/02 21:43 PUWtsHR62x
灰屋紹益が愛人の吉野太夫の死亡した時、火葬した遺骸の灰を酒に
浸して嚥下したことは、今になお人口に膾炙している。けれども斯様な事柄は必ずしも珍しいことで無く、愛人や肉親の死を悲しみ惜しむあまりにその肉を食し或は遺骨を口にするが如きことは我国に於ても古くから世に行われていた。今も肉親の遺骨を食ふ風習が伊豆(田方加茂の両郡地方)及び沼津近在に行はれていることは民俗学の権威たる中山太郎先生の記述された所である(『日本民俗学論考』)。

田中香涯著「我国に於ける食人の風習」

[14]生焼けの頭蓋骨 05/06/03 21:19 okLnYwgUK5
日 本 に 近 代 ま で 食 人 習 慣 が あ っ た
こ と は 新 聞 記 事 と し て 報 道 さ れ て
い ま す

東京近郊ある焼き場では、生まれつき虚弱体質
の人々が生焼けの頭蓋骨をつよく欲しがることが
あるとも報道されている。詳細は1902年2月の
『万朝報』3018号3頁、及び同月の他の新聞を
参照のこと

(南方熊楠「日本の記録に見る食人の形跡」)

[53]日本の食人慣習を反映 05/06/12 19:05 .WnFQayVYE
>>文学作品にでてくると、結構習慣が広がっているようで

人を食っちゃう文学は日本にもたくさんありますが。
人間喰う山賊の話とか江戸時代の小説には少なくありませんが、
人肉工場が出てくる『安積山』とか、子供をなべで料理する『破
几帳』とか。こんな挿絵があるくらいでhttp://img.gazo-ch.net/dl.php?x=/white.gazo-ch.net/bbsx/18/img/253325.jpg
民話なんかも人喰う話が一杯ありますよね。
最近じゃあ『湘南人肉医』なんて小説もありますよね。映画化
されてますが。http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=5330
日本の実際の食人慣習を反映しているのでしょうね

[57]日本人太古食人説 05/06/13 18:33 lyEzqVnRi9
戦国時代(十五、六世紀)のような暗黒時代には「千人斬り」
という修行法も珍しくなかった。これは手当たり次第無差別
に、できるだけ多くの人を殺すもので、自分の剣の技術を
試すため、あるいは見知らぬ相手に親を殺された場合に行われた
(喜多村、『嬉遊笑覧』復刻版巻四、九丁表)。しかし中には
千人の血を吸うことによって自らの病を治癒させることが
できると信じた梅毒患者の例も記録されている(藤岡・原田『日本
風俗史』1896年、二巻、161頁)

南方熊楠「日本の記録に見る食人の形跡」(日本人太古食人説)

[68]明治35年の事件 05/06/17 08:17 k0QD2UaWJN
「生首売買事件東京に起こらんとす」という新聞記事で、
当時の社会にかなり大きな衝動を与えた怪事件があった。
当時の新聞によると、
「古来薬品として人体の一部を黒焼きにして、霊天蓋、人胆、
天粉、天末、人油などと称して売買され、死刑に処されしもの
の頭蓋骨は、これらの原料として公売していたが、明治3年4
月にこれらの禁令が発布され禁止されたにも拘わらず、これら
の薬品は以前売買されている。日清戦争の際に彼地にてこれを
製造し、あるいは人胆で巨利を得たものありと伝えられており、
その余波は越中富山に及び、反魂胆本家として有名な薬店も家
宅捜査を受け、それにより9個の天印を発見し、調査により東
京より買い入れたことを確かめた」(東京日々新聞)とある。
警視庁は調査を進めた結果、天粉、天末、人油等の死体を原料
として製造した薬店が、東京市中の至る所の薬店で売買してい
ることをつきとめた。しかし細末として販売しているため、そ
れが人の生首から製造されたのか判明しなかった。とにかく生
首が売買されたことは事実で、奇怪な事件として、当時異常な
衝動を与え、当局でも厳重な取締をしたが、その需要は絶えな
いということであった。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/yokai/meijiryoukishi2.htm

[70]ししびしお 05/06/18 17:41 YCd9Ous9Og
すでに決着してるようですが、シシビシオ(塩漬け)の刑について
補足しておくと、この処刑法は日本でも江戸時代くらいまで用いら
れていた。江戸時代なんかだと、正式な裁きの前に被告が拷問なん
かで死んでしまう場合が少なくなかったので、死体を塩漬けにして
おくわけ。裁きの時に塩漬けから死体をひっぱり出してさらしたり
していた。森鴎外歴史小説(「大塩平八郎」)なんかにも出てくる。

[73]熊猫 05/06/19 23:34 *ApNZN7iU9C7*gJBLt2gRnf
岩手県でも人肉を食べていた事例を紹介します。これは飢饉によるものです。
******
牛馬の肉を食するのはふつうで、人肉を食する者さえあり、老母の死体を五百文で売買し、嬰児(えいじ)を食う母親もあり
胆沢町史より)
******

[74]コピペ 05/06/22 09:08 YVMfG.P2W.
「明治大正昭和 事件犯罪大辞典」、「新聞集成 明治編年史」より。
明治25年 大分県
 河野儀平 妻を殺して、その生肝を眼病の母に食べさせる。
明治26年 三重県
 高島久次郎 墓を暴いて小児の死体を掘り出し、蒲焼にして食う。
明治35年 東京都
 野口男三郎 少年を殺して臀部と踵の肉を切り取る。それで人肉スープを作り、
       ハンセン病の義兄に飲ませる。
明治35年 島根県
 持田捨太郎 梅毒薬として利用するため、墓から人骨を掘り出す。
       人骨は黒焼きにし、木炭やイタチの黒焼きと配合して薬とした。
明治35年 大阪府
 安藤小三郎 共同墓地の番人であった同人が生首を密売。
明治39年 長野県
 馬場勝太郎 女性とその子ども、子守りの3人、さらに別の女性ひとりを殺害して、肝を取る。
       「ハンセン病の薬にするので、女の肝を手に入れれば150円の報酬を払う」と
       “大阪の男”に誘われる。
明治40年 福島県
 大竹某 墓から死体を掘り出して、梅毒薬を作る。
明治41年 三重県
 小林助五郎、広松兄弟 7年間に渡って、火葬場の死体から脳漿を抉り出して
            「人油」として売る。
昭和8年 群馬県
 火葬場従業員が性病患者に依頼されて、死体を焼かずに脳を密売。
 火葬場の敷地内には焼かれなかった死体が1570体埋めてあった。

[77]九大の捕虜生体解剖人肉試食事件 05/06/26 13:17 Lnm2Ss7wyR
「九大の捕虜生体解剖人肉試食事件
太平洋戦争末期の1945年5〜6月、米軍捕虜8名を生きたまま解剖し、
その肝臓を試食した事件。・・・起訴されたのは、(中略)解剖に付された
捕虜1名の肝臓を食った少将・堀内清真ら5名である。」
http://www6.ocn.ne.jp/~tensino/houritu/zikenbo02.htm

[81]熊猫 05/06/28 23:52 *ApNZN7iU9C7*mZgGd6A0N.
【引用開始】--------
 これはいずれの帝の御時であったかというと人皇第二代の綏靖(すいぜい)天皇の御時である。綏靖天皇と申す帝は、朝に夕に人を7人食らいなさったので臣下の嘆きはこれにつきた。「誰と誰が生き残れるだろう」悲しいことに、それは誰にもわからない。この帝は長生きをしたので、多くの人民がその間に滅びてしまいはせぬか、と心配してある臣下がこの暴君を滅ぼそうと提議した。
 「この帝を戴いていたら、国土は乱れ、人民の嘆きは絶えない。祖父の鵜羽葺不合尊(ウガヤフキアワセズノミコト。あるいは、ウガヤフキアエズノミコト)は836412年を治めなさった。人皇の代となってから、世も末になったのは悲しいことですが、それでも神武天皇は120年を治められました。この帝も100年、200年、300年と御在世なさると思うが、その間、多くの人の命が失われるだろう。
 『何月何日に火の雨が降る』と偽りの発表をして、諸国に使いを廻らしなさい。いま命の惜しいものは、岩屋を作ってその中に籠り、難を避けよ」と告げられた。
 人々はみな心を迷わして、各々に岩屋を作り構えた。諸国に塚が多くあるのはこのときの岩屋である。都では、その日を定め、内裏の岩屋を作った。
 「国王もその日が過ぎるまで、お入りになってください」と、公卿3人、殿上人2人、女房2人を付け参らせて、摩利の柱(未詳)を立て、下から人が上がろうのも上がれないようにしてその中に収めた。その後はどうなったともわからない。悪王と善王とを引き換えてしまったのである。 (「熊野権現の事」『神道集』より)
【引用終了】--------

[82]幼児の蒲焼きは美味ですか? 05/06/29 06:55 aT1JPBt88E
明治26年、三重県の高田久郎は新墓を暴いて幼児の遺体を掘り出し、
「蒲焼き」にして食べた罪で禁固3ヶ月、罰金5円に処せられた。

鰻重が30銭の時代の話である。

[83]一会桑夏凪(いっかいそうかな) 05/06/29 16:26 *RztSgqXUqyT*oC5O2nHk
.歴史のトリビア からコピペ

[174]水戸の梅 05/05/11 19:34 DY80EEV5BV
ちょっとどうかなというハナシですが

  人の胆は  不治の病の薬に使われた!?

「胆力」とか「胆が太い」とか「肝胆相照らす」とかいって、精神力の根源
という考えにもとづく俗信なんでしょうが‥‥

安達ヶ原の鬼婆はもともと京の公卿の姫の乳母でした。
姫は生まれつき言葉が話せず、胎児の生き胆で治ると聞いたために
乳母は恐ろしい所業を続け、ついには実の娘まで殺めてしまいます。
 「陸奥の 安達ヶ原の 黒塚に 鬼こもれりと 聞くはまことか(拾遺集)」

熊胆(くまのい:熊の胆嚢)は同じ重さの金と同額だったとか。

江戸時代、公儀御試御用だった代々の山田浅右衛門(朝右衛門)。
山田家は様斬(ためしぎり)をした死体から胆をとり、「△△丸」なる
高価な薬を売って大変な財を得ていたとか。現在の同音の有名な漢方薬
まったく関係ありませんので念のため。
[180]天輝光希 05/06/07 16:36 *RztSgqXUqyT*OC5O2NHK
水戸の梅さんに同じく。


戊辰戦争時、薩長兵達は殺した会津兵の肝をとって、たべた。


ま、会津の(名前忘れた)ある人も醤油かけて(薩長兵の)肝をやせ我慢して「うまし、うまし」と食べたと記録が・・・
会津は食料難だったからしょうがないけど、それ以外はちょっと、ねぇ・・・

↑「天輝光希」は前の名前

[84]あああ 05/06/30 20:45 /RhHRh.0ea
灰屋紹益が愛人の吉野太夫の死亡した時、火葬した遺骸の灰を酒に
浸して嚥下したことは、今になお人口に膾炙している。けれども斯
様な事柄は必ずしも珍しいことで無く、愛人や肉親の死を悲しみ惜
しむあまりにその肉を食し或は遺骨を口にするが如きことは我国に
於ても古くから世に行われていた。今も肉親の遺骨を食ふ風習が伊
豆(田方加茂の両郡地方)及び沼津近在に行はれていることは民俗学
の権威たる中山太郎先生の記述された所である(『日本民俗学論考』)。

田中香涯著「我国に於ける食人の風習」

中国人は赤子を喰う!なんていう捏造画像プロパガンダ
横行していますが、真実は中国で
「人胎盤が薬剤に使われている」
だけの話。
無論日本でも堂々と売られてますから。残念!

ttp://www.bit-time.com/bnc/top.htm

それよか、日本文化史上伝統的な人肉食の話でも
したら?こういう人肉工房の話とか。
http://white.gazo-ch.net/bbsx/18/img/253325.jpg

[89]ソース 05/07/17 22:15 Zdl.B.ywGe
従前斬刑梟示ノ者遺体ヨリ肝或霊天蓋陰茎等ヲ取、密二売買致来候趣、不忍事二有之。
爾後御厳禁相成可然ト奉存候。併超絶ノ効能モ有之、病床二依テ右二可換薬品無之ト申儀モ候哉。
漢洋ノ医生ヘ効能取調ノ儀大学ヘ御達有之度。右理解相訳リ候上ハ、猶当省見込モ可申上候間、此段申上候也。

            庚午 三月                                  刑部省

                            弁官中

[90]ソース 05/07/17 22:15 Zdl.B.ywGe
「…其他人肝或は霊天蓋陰茎密売致する哉に候処其効験無之事に付
是又厳禁取締可致事」(明治三年四月十五日付弁官御触)

[92]これよめ 05/07/21 09:47 YbVQ0Pt/0z

大江戸死体考 人斬り浅右衛門の時代
平凡社新書 16)
氏家幹人=著

第四章 胆(きも)を取る話
 臀肉切り取り事件/人間の脂肪を薬に?/キモを抜かれた少年/生ギモ信仰
 ある東洋史家の“誤解”/「ひえもんとり」/文明開化の決断/キモ蔵があった浅右衛門邸
 人胆売ります、「胴」も売ります/ジンタンかニンタンか
 明治以降も絶えなかったキモ信仰/山田家にたかる小役人たち
 上質のキモは健康な死体から/死体商売/小塚原に死体保管小屋を!

[98]あるよ 05/07/29 15:42 owiRhOCEFK
割股の話は日本でも明良綱範その他に日本の美談として出てる。

[101]3s 05/07/30 10:44 7/Wc4OFrvG
江戸時代の実録奇談書三州奇談にも食人事件出てくるね

[106]皇子が食ってるがw 05/08/06 09:06 qKCwQXDok6
葦原皇子が御使連麻呂を膾にして食う『続日本記』

[107]人肉食って何が悪い 05/08/09 08:46 V.nq9SDHJo
享保のはじめ、三河の国の保飯郡舞木村でのこと。

 新七という者の女房で、いわという歳二十五になる女がいた。
 新七が京都から連れ帰ったのだが、いつもヒステリックで狂人のようになる性質で、とうとう新七は耐えかねて出奔した。
 女はあとを慕って遠州の新井まで追いかけたけれども、関所を通ることができなかった。むなしく村に引き返して独りで暮らすうち、恨みつらみがいよいよまさり、ほとんど乱心の態となった。

 そのころ、隣家に死人があって、田舎の風習どおり近辺の林で火葬にした。
 女はそこへ行って、半焼けの死人を火から引っぱり出した。腹を裂いて腸をつかみ出すと、持参のどんぶりに入れて、うどんなどを喰うようにずるずると喰った。
 施主が火の様子を見に来て、びっくり仰天。
 村じゅうの者が棒を手にして追い払おうとすると、女は大いに怒って、
「こんなうまい物を喰わずにおられるか。くやしかったらおまえらも喰え!」
と叫びつつ踊り狂い、蝶か鳥のように飛び駆けて行方知れずとなった。

                  • -

こんな話もあるようです↓より
ttp://home.att.ne.jp/red/sronin/_koten/jinnniku.htm

[109]日本にはこんなAVがw 05/08/19 06:57 Koq743t126
「全裸のランチ
…変態M男の包茎の皮を焼き肉にして食べてしまう包茎焼き肉と、脂肪吸引してとった脂肪をラーメンにしてしまう人肉ラーメンの2つからなるオムニバス…モザイクが掛かっているとはいえ、いちもつがメスで切り刻まれるのは、見ていてあまり気分のいいものではない。…食べた人の話を聞くと、匂いの強いハムみたいだとのこと。(雑誌GON!1996年1月号。日本で市販されているAVの紹介記事)