ひょっこり麋竺島

三国志麋竺伝集解所引趙一清説


『寰宇記』巻二十二にいう。「牛欄村は郁州島のほとりにある。」
『郡国志』に言う。「麋竺が放牧した場所で、現在でも民衆が祭祀を行っており、‘麋堆’と呼んでいる。」
山海経』に言う。「都洲は海上にあり、都の音は郁である。」
『水経注』に言う。「胊県の東北の海上に大きな砂洲があり、それを郁州という。むかし道術の学徒が十人、鬱州の蒼梧の頂きに遊学し、四百年後、みな道術を会得し、その山を蒼梧から東海の海上に飛ばしてしまったのだ。いまなお南方の草木が生えているのは、それが理由なのである。」
崔琰『遂初賦』に言う。「郁州とはかつての蒼梧山である。古老の言い伝えによると、この島に住む人々はみな祖先が麋家の奴婢なのだという。いまは牛欄村となっているが、むかしは麋家荘があり、祭神を‘麋郎’と呼んでいる。祭りの日、鋤や耕作用の鞭を手にとる。また、初めて妻を取るものは、かならず最初に麋郎へ披露すると言う。そうしなければ祟りにあうからである。」
また言う。「胊県に麋竺塚あり。」
『郡国志』に言う。「石を削って人馬鳥獣の形を作り、それを‘鬼神市’と名づける。」


趙一清が思うに、麋竺は蜀で死んだのだから、どうして海上の砂洲に帰ってくることができようか。これらの記録は事実を見失った言葉である。あるいは、これは麋竺の祖先の墳墓かもしれぬ。

ひょっこり、つーか、ラピュタか。現代中国語では‘鬱’の代用として同音の‘郁’を用いる。