龐統 謀叛する

立身出世編の続き。

孔明荊州をだまし取られ、その怒りのあまり寝込んでしまった周瑜。病状は日に日に悪化していく。そこへ「門前に一人の先生がやってきて、元帥さまと語り合いたいと申しております」との知らせ。周瑜が「お通しせよ」と言って招き入れたその人、西川洛城の出身、姓は龐、名は統、字は仕元、道号鳳雛という人物であった。

龐統「それがしの弟がこんな真似を…」
周瑜「おれの切り傷を見てくださるか」

龐統はとても正視できなかった。周瑜は「おれが死んだら遺骨を江南に届けてくだされ」と遺言して、死んだ。その夜、龐統は将星にまじないをかけ、周瑜の首を携えて長江を渡ろうとした。そこへ立ちふさがったのは、なんと孔明、「周瑜が死んだのは分かっている。将星が落ちないのは龐統のしわざだろう」と言った。龐統は孔明と話し合い、孔明は首を送りとどけるのを見逃してやった。

数日後、龐統が金陵に到着すると、孫権周瑜を手厚く葬るよう命じた。このとき魯粛が龐統の登用を勧めると、孫権は大声で魯粛をののしった。「劉表が死んだとき、お前は弔問と称して荊州へ行き、劉備だの孔明だのを呼び込み、赤壁の大戦で曹操軍百万を破りはしたものの、我が軍も数万人を失い、そのうえ黄蓋をはじめ数十人の名将を失ったのだ。さらに劉備荊州十三郡を横取りし、わしのかわいい周瑜を殺してしまったのだぞ!」魯粛は言い返す言葉もなく、すごすごと引き下がった。

龐統は荊州に帰る途中、帝星がきらきらと輝いて荊州の地を照らしているのを見て、「わしはご主君を見つけたぞ!」と喜んだ。龐統は役所に入って、劉備に拝謁した。

劉備「先生のご尊名は?」
龐統「姓を龐、名を統と申す」
劉備「先生は諸葛孔明をご存じか?」

龐統はうんうんと適当な返答をするだけで帰ってしまった。劉備は「歴陽県令に命ず」との書面を龐統に送った。

龐統は自分の思い通りにならないのが面白くなく、半月ばかり、仕事に手を着けなかった。見るに見かねた百姓の一人が荊州へ行って劉備に報告する。劉備が「孔明の兄弟だと言うから県令に取り立ててやったのに、なぜ勝手なまねをするんだ!」と叫んでいると、そこへ「張飛どのが帰られました」との知らせ。劉備は喜び、彼を招き入れて龐統のことを説明した。

張飛「おれが歴陽へ行ってくる。あいつを兄者のところへ引きずり出してやるさ!」

明くる日、張飛は数十人の部下を連れて歴陽へ向かい、役所の前で馬から飛びおりた。百姓や役人たちは口々に「龐統のやつめは不届き者です」と訴える。張飛は剣を抜いて役所に押し入った。ときは夕暮れ、雷のような大いびきが聞こえてきた。張飛は音の出どころを探しあて、何度も、何度も、剣で切りつけた。泉のように血が吹きだす。ばっと布団をはねのけると、なんと一匹の犬ころであった。

張飛「あの野郎、どこへ行きやがった?」

翌日、張飛が帰ってきて昨晩のことを報告すると、劉備は「なんということ、大変な賢者なのではないか!」と後悔したが、十日ばかりすると、長江沿いの四郡が一斉に反旗をひるがえした。劉備はどういうことかと孔明にたずねた。

孔明「南に臥龍、北に鳳雛ありと徐庶が申したのをお忘れですか?龐統というのは西川洛城の出身で、この者こそが鳳雛先生なのです。いま四郡が一斉に反旗をひるがえしたのも、すべて龐統の差し金でしょう」
劉備「軍師どののおっしゃる通りです」

孔明趙雲を呼んで「三千人を率いて長沙郡の趙範を捕らえよ」と命じた。翌日、趙雲が出かけていくと、趙範は羊肉を土産に降参し、「四郡が反乱したのは龐統の差し金だったのです」と言った。その日は宴会になり、夜中、趙範は数十人の女どもを呼んだ。そのなかに、赤い着物をきて、まことにあでやかな容姿をそなえた婦人があり、趙雲に酒をついだ。

趙範「これはそれがしの兄嫁でしてな、子龍どのの妻にして頂きたく」
趙雲「きさまは凡夫か。軍師どのの厳命があるのだ、酒色に惑わされるものか!」

そう言って趙雲は役所を出ていってしまった。趙範は酔っていたので「趙雲め、冷たいやつじゃ」と言い、軍勢三千人を率いて宿舎を囲み、趙雲を殺そうとした。趙雲は一筋の矢を放って趙範を射殺した。翌日、趙雲は役人や百姓たちを集めて趙範を殺した理由を説明し、みなを安心させた。荊州に帰って劉備に拝謁すると、劉備は軍師と相談して「趙雲、長沙郡の統治を命ずる」と言った。

一方、張飛は桂陽郡に向かっていた。桂陽太守蔣雄は文武を兼ねそなえた人物である。翌日、張飛が軍勢三千人を率いて桂陽の手前十里のところまで来ると、斥候が太守蔣雄に報告した。

蔣雄「張飛はなんと馬鹿なやつ。孫子の兵法に、騎馬隊は四里を行軍できず、歩兵隊は五里を行軍できず、多ければ多いほど食糧に困るとある。それなのに張飛百里の道を来おった。管仲は、遠くから来た敵軍は撃つべし、と言っている。よし、その勢いで張飛を殺してしまえば、諸葛亮の片腕をもぎとったも同然じゃわ」

蔣雄は五千人を率いて出撃し、張飛の砦に襲いかかった。しかし到着してみれば、なんと砦は空っぽ。四方から伏兵が一斉に襲いかかる。蔣雄は桂陽城に逃げ込もうとしたが、すでに張飛の手に落ちたあと。張飛が城外に出迎えて蔣雄と矛を交わすと、蔣雄は馬から突き落とされた。桂陽郡は鎮圧され、張飛荊州に帰っていった。

孔明はまた公子劉封を韓国忠と戦わせていた。国忠が負けたのを、劉封が追いかけていくと、小高い坂道になっていて、四方はみんな池や川であった。韓国忠は船に乗って逃げていく。劉封が追いかけようとすると、前方を一人の武将が立ちふさがった。身長は一丈もあり、まんまる目玉に長いひげ、長柄の大刀をふりまわしながら、馬上で叫んだ。「これは関羽張飛を捕まえる計略だ。劉封なんかに用はないぞ!」

劉封が捕らえられたとの報告を受け、孔明が諸将と相談していると、今度は張飛が飛びだして韓国忠と対決した。すると、あの男が現れて張飛と矛を交え、十合ほど切り結んだが勝負がつかない。こうしたことが三日も続いたので、張飛は軍師のもとへ使者を出して、引き揚げた。軍師を砦に招きいれて、こまごまと説明しながら「あんなやつがおっては、漢の天下はもうおしまいだ」と言った。

翌朝、軍師が岡の高みに登って、西南の方角を眺めてみると、桂陽城の西南に坂があって、その真下は劉封が立ち往生したあの川である。川のほとりに一つの陣営が見える。孔明は言った。「あそこにはきっと鳳雛がおるぞ」

その日の夜、孔明は手紙をしたため、麋竺に抜け道からこっそりと届けさせた。麋竺は長い道を行って小さな砦を見つけたが、敵兵に捕まって龐統のまえに連れていかれた。麋竺が手紙を渡すと、龐統は「諸葛は友達じゃからのう」と笑い、手紙を書いて麋竺に持たせた。

翌日、麋竺が砦に戻って手紙を渡すと、軍師はそれを読み、その夜、麋竺に軍勢一千人を与えて坂のうえに行かせた。そこで蘆の草を焼くと、劉封が見つかり、諸葛亮のもとに帰ってきた。

一方、そのころ龐統は、かの名将を呼びよせていた。この者、関西扶風の出身で、姓は魏、名は延、字は文長といい、龐統のそばに座って「漢朝が軍勢を寄こして参りましたが、士気は高く、韓国忠は人徳も決断力もござらぬ。玄徳は人徳のお人、賢者は主君を選んで補佐すると言うではありませんか」と言った。

翌日、両軍が対陣しているとき、魏延は韓国忠を馬上から斬って捨て、龐統は武陵郡を率いて諸葛亮に降参した。

孔明が軍勢を率いて金陵郡に向かうと、金陵太守金族は軍勢を率いて出馬し、孔明とにらみ合った。金族が一人の武将を出馬させると、軍師はたいそうびっくりした。

龐統「あれは鄂郡の出身で、姓を黄、名を忠、字を漢升と申す者じゃ」

孔明魏延を出して戦わせたが、二日もかけて勝負がつかなかった。今度は張飛を出して黄忠と戦わせたが、十合も切り結んで、やはり勝負はつかなかった。

黄忠「わしは雲長のことなら知っておるが、張飛魏延なぞ知らんぞ!」

十日ほど経っても、金陵郡を鎮圧することができず、孔明は「黄忠は将軍の才を持っておる。皇叔どのではあの男を降参させられまい」と言い、荊州へ使者をやり、関羽に軍勢五千人を率いて来るようにと命じた。

三日ほどもせず、関羽が到着して黄忠と戦いをはじめたが、けっきょく勝負はつかなった。

龐統「四郡を説得したとき、それがしは黄忠と話をしたことがある。黄忠は『わしは金族に恩義があって、金族が生きているかぎり死んでも恩返しをする。もし金族が死んだら、そのあと主君を探して補佐するつもりだ』と申しておったぞ」
孔明黄忠を手に入れた!」

二、三日して、孔明黄忠と対峙し、負けたふりをして引き下がった。金族が進軍して孔明陣営を陥落させ、さらに数里ほど追撃した。金族がまえに立ちふさがる者に気付くと、それは孔明、四頭立ての馬車に座っているのを見て、金族はぶっ倒れた。弓矢が一斉に降りそそぎ、金族を射殺してしまう。孔明は軍勢を率いて砦に戻った。

三日と経たず、黄忠が仕返しにやってきた。

龐統「黄忠、降服せぬか!」
黄忠「わがご主君は誤って貴殿に殺された。それがし、なんとしても敵討ちをせねばならぬ。どうして降服なぞできよう!」

張飛が飛びだして矛を交えたが、なんと百合も戦って、それでも勝負がつかない。今度は魏延が出馬し、二人がかりで黄忠に襲いかかった。黄忠の武勇はますます冴えわたる。さらに孔明、「老兵めの強さはただごとではない、黄忠を斬って殺せ」と言って飛びかかり、こうして四人が馬首を交えて戦った。ふと、一筋の血が吹きあがったかと思えば、一人の武将、すなわち黄忠が馬から落ちた。

さて、黄忠が馬から落ちたあと、ぐるりと三人が囲むのを地上で戦ったのを見て、関羽は「あの者は、世にまたとない偉丈夫だ!」と言った。孔明が叫んだ。「お三方、馬をとめよ。」

孔明が言葉もうやうやしく漢に帰参なされよと黄忠を説得すると、黄忠は金族の埋葬を終えて降参したので、孔明は軍勢を率いて荊州に帰った。劉備が三人の武将に目をやると、その先頭にいるのは龐統である。劉備は「賢者である!」と言った。また魏延を見て「人徳者である。じゃがわしの弟の関羽にはかなうまい」と言い、また三人目を見ると、黄忠は年老いた武将であった。

というお話なのサ。ちゃんちゃん。

あい、実はこれ『三国志平話』という歴史小説の一部を、私がてけとーに日本語訳してみたものです。途中ぶっとんだ訳文になってますが、原作もぶっとんでるのであんまり気にしない方向で調整。むかしカプコンの『天地を喰らう』というゲームがあったんですが、そのゲームでも龐統が主人公劉備に戦いを挑み、負けてから仲間になるという筋書きだったような気がします。黄忠つえーよ。

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