李粛をナメんな!

三国志演義』ではザコ扱いの李粛くんですが、『演義』に先行する通俗小説『三国志平話』ではもっと風格ある武将として描かれてます。

【三国志平話】巻之上
(原文)當日、太師領軍兵五十餘萬、戰將千員。左有義兒呂布、布騎赤免馬、身披金鎧、頭帶獬豸冠、使丈二方天戟、上面挂黃幡豹尾、步奔過騎、爲左將軍。右邊有漢李廣之後李肅、帶銀頭盔、身披銀鎖甲白袍、使一條丈五倒鬚悟鉤鎗、叉弓帶箭。用文者有大夫李儒、用武者有呂布・李肅、三人輔佐董卓
(訳文)この日、太師(董卓)は軍勢五十万余、武将千人を率いていた。左手には養子の呂布が控えている。呂布赤兔馬にまたがり、身には黄金の鎧をつけ、頭には獬豸冠をかぶり、一丈二尺の方天戟をかかえ、背には黄色の旗に豹の尾をおっている。歩みの速さは馬以上、左将軍を務めていた。右手には漢の李広の末裔李粛が控え、銀色の兜をかぶり、身には銀の鎖帷子に白い直垂をつけ、一本の一丈五尺になる鬚悟鉤鎗をかかえ、弓矢を備えている。知恵者には大夫の李儒、武辺者には呂布李粛を用い、この三人が董卓を補佐していた。

金の鎧と銀の鎧の対比は創作上の古典的な表現で、主役をはる大スターと脇を固める実力派って感じのよくある演出。『演義』では、たとえば関羽関平の親子がこの金鎧に銀鎧の組み合わせ。これだけでも呂布に次ぐ勇将として見なされているのが分かりますが、そのうえ呂布李儒とともに董卓を支える三羽烏と位置付けられてます。華雄だの李傕だの牛輔だのの出る幕はありません。すごいです。しかも李広の末裔だというオリジナル設定付きです。たしか『演義』にはその設定が引き継がれてなかったはず。李広といえば弓の達人として知られてますが、弓矢を装備していることがわざわざ明記されていることからしても、李粛がそれなりの弓巧者であることを暗示しているようです。

曹操董卓を倒すため劉備のもとを訪れます。

(原文)酒行數巡、操曰、「我奉聖旨、宣天下二十八鎮諸侯。今有董卓弄權、長有謀漢天下之心、宣衆諸侯保駕定天下、破董卓、及有呂布・李肅、各有萬夫不當之勇、無人可敵。因宣滄州宣膻海郡韓甫、經過平原縣、却聞玄紱公在此、特來相謁。…」
(訳文)充分に酒がまわったころ、曹操が言った。「わしは聖旨を奉じて天下二十八鎮の諸侯に宣言したのじゃ。いま董卓が権力をもてあそび、久しく漢の天下を窺う心を抱いておるゆえ、御車を守護して天下を平定し、董卓を打ち破るべしと諸侯らに宣言したのじゃが、しかし呂布李粛がおって、いずれも万夫不当の武勇の持ち主、渡りあえる者がおらんでな。そこで滄州に宣言して横海郡の韓甫に宣言したのじゃが、平原県を通りがかって、この地に玄徳公がおられると聞いたので、わざわざ会いに参ったのじゃ。…」

呂布が万夫不当の勇者であるのは当然として、李粛もそれと同じくらいの猛将だと曹操は語っています。李粛すげー。

(原文)却說獻帝在洛陽、爲君儒弱。太師董卓弄權、身重三百斤、有簒國之心、帶劍上殿、文武皆懼。倚手下義兒呂布・白袍李肅・四盜寇・八健將、常欺壓天下諸侯。
(訳文)さて、献帝は洛陽にあったが、君主としては柔弱であった。太師の董卓は権力をもてあそび、身分は三百斤の重さ、国家を簒奪せんとの心を抱き、剣を帯びたまま昇殿したので、文官武官はみな恐れおののいた。配下である養子の呂布、白い直垂の李粛、四人の盗賊、八人の勇将を頼りにして、つねづね天下の諸侯を威圧しつづけていた。

李粛が、天下の諸侯を威圧するのに充分な実力を持っていたことが窺われます。ちなみに四人の盗賊とは李傕、郭艴、樊稠、張済のこと、八人の勇将は最後まで姓名が明らかにされませんが、のちに呂布の部将となっており、『演義』の侯成、魏続、曹性らの八将軍の原型になっていると思われます。

このあと、董卓呂布に刺殺されますが、その呂布の前に立ちはだかったのが李粛でした。

(原文)呂布速忙出宅、奔走於丞相宅内。王允急問、「爲何。」呂布具說其由。丞相太喜曰、「溫侯世之名人、若不殺董卓、漢天下危如累卵。」說話間、門人報曰、「外有李肅提劍來尋呂布。」丞相火速出宅、見李肅至曰、「呂布殺了太師身死、我若見呂布、碎屍萬段。」王允曰、「將軍錯矣。今漢天下四百餘年、爾祖李廣扶持漢室。今董卓弄權、呂布除之、爾言殺呂布、天下罵名、不類爾之上祖、可以除昏立明、是大丈夫也。」李肅擲劍在地、叉手曰、「丞相所言當也、請溫侯說話。」二人相見、呂布具說董卓無道、李肅大怒、「吾不知其是。」呂布遂辭王允歸於宅内…
(訳文)呂布は急いで(董卓の)屋敷を出て、丞相(王允)の屋敷に逃げこんだ。王允はあわてて「いかがなされた?」と尋ねると、呂布は詳しく事情を説明した。丞相はたいそう喜んで、「温侯(呂布)は当代きっての名将じゃ。もし董卓を殺さねば漢の天下は累卵の危うきに陥ったでござろう」と話し合うところ、門番が「外に李粛どのがお越しになり、剣を片手に呂布どのをお探しです」と報告してきた。丞相が屋敷を飛びだして李粛に会うと、(李粛は)言った。「呂布が太師を殺したのじゃ。もし呂布めを見つけたらちりぢりに切り刻んでくれよう。」王允は言った。「将軍、それは筋違いですぞ。いま漢の天下は四百年あまりも続き、ご先祖の李広さまが皇室を支えておられた。このたびは董卓が権力をもてあそんでおったゆえ、呂布はそれを排除したのでござる。貴殿は呂布を殺すとおっしゃるが、天下に名誉を傷付けられ、ご先祖に背くことになりましょうぞ。暗闇を払って光明をもたらすことこそ大丈夫ではありますまいか。」李粛は剣を投げすてて両手を重ね、「丞相のおっしゃる通りでござった。なにとぞ温侯と話しをさせてくだされ」と言った。二人が面会すると、呂布董卓の非道を縷々説明した。李粛は「わしはそれが正論だとは思わぬ!」と激怒し、呂布は結局、王允のもとを辞して(自分の)屋敷に帰っていった。

突然、李粛が怒りだした理由がよく分かりませんが、呂布のいう董卓の「非道」というのが呂布の妻(貂蟬)を奪ったことを指しているようなので、国賊を排除するという公事ではなく、私事によって大臣を殺害したことを問題にしているように思われます。正義感つよいぞ、李粛

なぜか、李粛はこのあと物語上からすっかり姿を消してしまい、牛信(牛輔)と戦ったり、いずれ劣らぬ万夫不当の勇者同士として呂布と渡りあったりといった名場面は一切、用意されてません。残念!