柳隠そんなにえらくない

ウチで柳隠を取りあげたら、これがネット上では結構話題を呼びまして、蜀漢晩期の名将だという評価が定着してしまっているようです。

いや、そんなに大したことないって!
「当敵陥陣(敵軍にぶつかって陣営を陥落させた)」「勇略冠軍(武略は全軍筆頭だった)」なんて武将を褒めるときの史書の決まり文句ですんで、別に柳隠じゃなくても、だれかれ構わず「当敵陥陣」「勇略冠軍」とか言ってるわけですよ。

柳隠が実際にやったことは、鍾会軍が押し寄せてきたとき黄金戍に引き籠もっただけです。しかも鍾会の主目的は陽平関の通過であって、漢城・楽城も黄金戍も、最低限の見張りの兵を付けただけで華麗にスルーですから!鍾会軍は本気で黄金戍を落とそうとは思ってなかったし、柳隠もどれだけ真剣に包囲を解こうとしてたかは史書から読み取れないです。ましてや漢中郡や姜維軍を救おうとしたという記録なんてあるわけない。だいたいこの程度のことでこんだけ評価されるんなら、王含・蔣斌はどんだけ評価されんねんって話になりますよ!

(あと、柳隠を老人だったという人もいらっしゃるのよね…。これは、私が、ほかの人物の伝から類推して、柳隠が八十歳で亡くなったのは泰始二年の退官と同年だと推定してるからなんですが、どうもこれが一人歩きして確定事実のように思われてるみたいなんですよね。)

柳隠がストーリー的においしいのは彼の立ち位置であって、別にそんなに能力があるってわけじゃないっす。柳隠マンセー