曹操 兗州牧に就任する

東郡太守の曹操は、兗州牧の劉岱が戦死するとその役職を後継しました。兗州牧に就任すれば、とうぜん州の役人、州に属する郡国の守相が曹操の配下に加わります。州の役人には万潜ら、守相には鮑信、応劭、張邈らがありました。

州の役人に万潜のほか、とくに留任者の名が伝わってないのは、多くが曹操に反発して下野してしまったからでしょう。曹操のもとで従事を務めた人に薛悌、王必らがいます。薛悌は曹操が東郡から連れてきた人物、王必のこれ以前の経歴は不明です。

済北相の鮑信はまもなく黄巾賊との戦いで落命、その配下の于禁曹操に直属するようになります。だれが鮑信の役職を継いだのかはわかりません。泰山太守の応劭は領内で曹操の父を死なせたため袁紹のもとへ逐電、薛悌が後任の太守に抜擢されます。陳留太守の張邈は潁川太守の呂布を迎えいれて反乱を起こし、呂布が兗州牧となり東郡を占拠します。

陳留郡民である典韋夏侯惇に属したのは、夏侯惇が陳留太守になったからでしょう。典韋はそのあと濮陽の戦いに参加しているわけですから、夏侯惇の太守就任はそれ以前だったと考えられます。夏侯惇曹操が抜けたあとの東郡太守でしたが、張邈が反乱を起こして陳留太守が空席になったことと、呂布の占拠により東郡の実効支配権を失ったことから配置替えになったのだと思われます。東郡には代わって臧洪が入部しますが、黄河南岸に渡ることができず北岸の東武陽に役所を置きます。

夏侯惇が東郡太守だったころ、河内の武装豪族の韓浩が招かれてその部将となっています。また、山陽の豪族である李乾が曹操の膝下に加わったのもこのころのことで、黄巾賊との戦いや徐州遠征で活躍しています。この李乾の甥が李典です。

夏侯惇典韋于禁、韓浩、李乾といった武勲華やかな武将たちが歴史の表舞台に登場するのが、曹操が兗州牧に就任した前後のこの時代のことです。

牧伯劉岱曹操曹操 / 呂布曹操
州吏王彧 万潜万潜 薛悌 王必万潜 王必 / 李封 薛蘭万潜 王必
東郡太守橋瑁→王肱→曹操夏侯惇臧洪臧洪
陳留太守張邈張邈夏侯惇 / 張邈夏侯淵
済北相鮑信鮑信
泰山太守応劭応劭薛悌薛悌
東平相程昱程昱
山陽太守
済陰太守呉資夏侯惇
任城相鄭遂
令長程昱 棗祗 靳允棗祗 靳允
諸将*1曹洪 夏侯淵 曹仁 荀彧 陳宮 朱霊 韓浩 李乾 楽進 許汜 王楷于禁 典韋 李整 楼異
/ 張超 陳宮 高順 張遼 郝萌 氾嶷 許汜 王楷

*1:異動者のみ掲載。