三国
魏公の建議以外でも『後漢書』に出ていた。 『後漢書』賈琮伝 【原文】時黃巾新破,兵凶之後,郡縣重斂,因緣生姦.詔書沙汰刺史﹑二千石,更選清能吏,乃以琮為冀州刺史.舊典,傳車驂駕,垂赤帷裳,迎於州界.及琮之部,升車言曰:「刺史當遠視廣聽,糾察…
孔融が黄巾賊の来襲に為すすべなく手をこまぬいていたかのように言う人をよく見かけるので、『後漢書』本伝から引用しておこう。 『後漢書』孔融伝 (原文)後辟司空掾,拜中軍候.在職三日,遷虎賁中郎將.會董卓廢立,融每因對荅,輒有匡正之言.以忤卓旨…
韓嵩は字を徳高といい、義陽の人である。(嵩字德高,義陽人.) 鄧艾は字を士載といい、義陽の棘陽の人である。(鄧艾字士載,義陽棘陽人也.) 義陽の樊建が彼(董厥)に代わった。(而義陽樊建代焉.) 董厥は字を龔襲といい、また義陽の人である。(董厥…
衛瓘の子が衛恒、衛恒の子が衛璪と衛玠。玉偏が続きますな。
ここで漢末の彭城王劉和のことに言及したんですが、この伝に出てくる賊の昌務って、昌豨のことだよね?字が似てるので、たぶんそうだ。東海の三公山を根拠地とした昌豨は、彭城にも勢力を伸長していたということ。琅邪に臧霸あり、東海に昌豨あり、下邳に闕…
最近読んだ本 その4。
じつに興味ぶかい。
曹操以前の世代が故意にぼかされてる気がする。
『水経注』が曹騰やその一族の碑に言及していることはよく知られている。
曹仁が征南将軍を務めて荊州に駐屯していたころの軍師。
徐庶は彭城相を務めていたことがある。
こっちもややこしいと思ってたので系図にまとめてみたら、意外にそうでもなかった。
董卓の乱では、意外に見落としがちな朱儁周辺の動きについて。
とてもややこしいので系図にまとめてみた。
『三国志』や『後漢書』には書かれてないことでも、『後漢紀』にはあるのです。
姓は高、名は頤、字は貫方。劉璋のもとで広漢属国都尉、益州太守を歴任、建安十四年(209)に亡くなる。
姓は熊、名は不詳。劉表のもとで綏民校尉、曲江の県長を兼務し、建安二十一年(216年)に亡くなる。
袁術史の続き。
ちょっと通説をくつがえしてみる。目からウロコの袁術史。
後将軍号の来歴、袁紹との関係について。
いま持ってる後漢三国関係ものをちょっと整理してみた。
わたしはまったく知らなかったんだけど、【雲子春秋】で、かれと子孫の名が引用されている。出典は『世説新語』の注に引く『晋陽秋』で、なかなか信頼度の高い史料だ。じつはわたしも『世説新語箋疏』を持っていたんだけど、本文だけをざっと見て、三国関係…
『古今図書集成』から。
『後漢書』陶謙伝 (原文)初三輔遭李傕亂,百姓流移依謙者皆殲。 (訳文)むかし三輔が李傕の乱に遭遇したとき、百姓たちが陶謙のもとへ流れて身を寄せたが、すべて滅んだ。 ふつう三輔の流民といえば195〜196年の飢饉を契機として流出した人びとを想起する…
まず曹仁伝を見てみると、 『三国志』曹仁伝 (原文)從征徐州,仁常督騎,為軍前鋒.別攻陶謙將呂由,破之,還與大軍合彭城,大破謙軍.從攻費、華、即墨、開陽,謙遣別將救諸縣,仁以騎撃破之. (訳文)徐州遠征に従軍し、曹仁はいつも騎兵を率いて軍の先…
曹洪がいつも小物扱いされてて萎える。
『古今図書集成』にはこんなものまで載っている。
朱治伝の記載がおかしい。
これ確定じゃね?
楊儀がいつも小物扱いされてて萎える。